[原発と福島]避難者の街<5>帰郷決心 娘の夢のため

[読者会員限定]
無断転載禁止
メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 一時2万4000人が避難してきた福島県いわき市は、7000人余の住民が市外へと避難していった街でもある。東京電力福島第一原発から約40キロ。避難指示は出ていない。それでも、子供のために、とどまることができなかった親が多くいた。子供のために避難し、子供のために戻る。そんな生き方を選んだ母親も。

        ◇

 根本美佳(49)は2011年3月15日、一人娘(14)を連れ、いわきの街を出た。「少しの間」のつもりで向かったのは、妹が暮らす愛知県東部の豊川市。しかし、刻々と明らかになっていく原発事故の現実に、美佳は震えた。「もう娘を連れて戻れない」

 とは言え、美佳は働かなければならなかった。1年ほど前に離婚していた。一緒に避難した父(73)に娘の世話を任せ、いわき市の介護事務の仕事に戻った。

 慣れない土地で小学生になり、親と離れて暮らす娘を案じた。しかし、音を上げたのは父のほうだった。そのタイミングで、在宅で仕事ができるようになったのは、まだしもラッキーだった。美佳はその夏、豊川市の県営住宅で、娘との暮らしを再開できた。避難住民の集まりに参加した。放射線の不安などを語り合うと、落ち着いた。

 ある日、作文を見つけた。<わたしのゆめはフラガールになることです>。まだ離れて暮らしていた頃、弾んだ声で「フラガールのおねえさんが来たの。おじいちゃんと見に行った」と電話があったことを思い出した。いわき市のレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」のフラガールは、全国に散らばる避難者のために各地を巡業していた。

 かわいい夢だと思った。ところが娘は本気だった。3年生になると、フラを習いたいと言い、髪を伸ばし始めた。壁のフラガールの写真の前で、「行ってきます」と言って登校する。美佳は動揺した。「この子のためにいわきを出たのに、なんでそんな夢を」

 高学年になってから話し合いを持った。17年春には中学生になる。娘は「いわきに戻る」と言い切った。いわきには本格的なレッスンを受けられる環境があるからと。何度もぶつかり、美佳が折れた。「でも生活では条件をつけるからね」

        ◇

 豊川市の職員が口にした言葉が、ずっと心に引っかかっている。「勝手に避難してきては困りますよ」。避難先の住宅相談をした11年の春のことだ。「私は勝手に出ていって、今度は勝手に戻ってきた親か」

 6年ぶりの故郷は、後ろめたく、居心地が悪い。周囲で放射線が話題になることもほとんどなくなった。

 美佳は、いまも食材を産地で選ぶ。分かっている。問題のある食材が流通することはまずない。自主避難の歳月を否定したくない気持ちが働いていることも。だから、娘には「友達と会うときは、食べ物を気にしないで」と言っている。自分のせいで娘の人間関係を狂わせたくない。

 スパリゾートハワイアンズ経営会社の前身は「常磐炭礦じょうばんたんこう」。その炭鉱の街の復興をかけたのがフラガールだ。祖父が常磐炭礦の従業員だった縁もあり、美佳は、よちよち歩きの娘を連れ、何度もショーを見ていた。

 美佳はふいに、幼い娘にせがまれ、ビニールひもで衣装を作ったことを思い出す。フラガールの街で生まれ育ったから、避難した先にフラガールがやって来たから、2人のいまがあるのかもしれない。娘は、フラダンスの部活動と教室通いに夢中だ。高校3年で試験をパスできれば、娘は、59期のフラガールになる。(敬称略、おわり)

 (この連載は、福島支局・市原佳菜子、大月美佳、加藤哲大、編集委員・清水美明が担当しました)

423950 1 国内 2019/02/05 05:00:00 2019/02/05 05:00:00 2019/02/05 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/02/20190205-OYT1I50014-T.jpg?type=thumbnail

ニュースランキング

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
発言小町
OTEKOMACHI
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
The Japan News
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ