拉致被害者・有本恵子さんの母、嘉代子さん死去…「生きて娘と」願いかなわず

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有本嘉代子さん(2014年6月撮影)
有本嘉代子さん(2014年6月撮影)

 北朝鮮による拉致被害者で神戸市出身の有本恵子さん(失踪時23歳)の母、嘉代子さん(神戸市長田区)が今月3日、心不全で亡くなっていたことがわかった。94歳だった。連れ去られた娘の生存を信じ、「生きて娘と会いたい」と救出を求めて運動を続けてきたが、その切なる願いはついにかなわなかった。

 嘉代子さんの死去で、未帰国の政府認定拉致被害者のうち父母で健在なのは、嘉代子さんの夫・明弘さん(91)、横田めぐみさん(当時13歳)の父・滋さん(87)と母・早紀江さん(84)の3人となった。明弘さんは「嘉代子と二人三脚で頑張ってきましたが、妻は力尽きてしまい、今は全く気持ちの整理もつかない状態です」とコメントした。

有本恵子さん
有本恵子さん

 神戸市外国語大の学生だった恵子さんは1983年7月、留学先のロンドンで北朝鮮に拉致された。恵子さんは自分で学費などを工面し、明弘さんら家族の反対を押し切ってロンドンに旅立ったという。

 恵子さんからの手紙は、同年10月に届いたデンマーク・コペンハーゲンの消印が残るものが最後。だが、後にこの手紙は北朝鮮の偽装工作と指摘された。88年には、別の家族に届いた封書から「(恵子さんは)北朝鮮で暮らしている」との情報がもたらされた。

 以降、「拉致」を疑った明弘さんと、調査・救出を求め、何度も外務省や各政党、警察に足を運んだ。すがりつくような思いで訴えたが、当時の担当者は「根拠がない話で、動けない」などと繰り返した。

 事態が動き始めたのは、よど号乗っ取り犯の元妻が法廷で、恵子さん拉致を証言した2002年3月。同年9月には小泉首相(当時)が訪朝し、北朝鮮側が正式に拉致を認めた。拉致から、20年近くの時が過ぎていた。

 ただ当時、北朝鮮側から示されたのは「ガス中毒で死亡した」との死亡診断書。しかし、嘉代子さんは信じず、希望を失わなかった。

 工場経営で家族を支える明弘さんに代わり、拉致問題の解明、被害者救出を訴えた講演活動を何度も繰り返し、思いをつづった著書も出版した。

 近年、拉致被害者の再調査の中止や、ミサイル発射実験を繰り返す北朝鮮への怒りを募らせるばかりだった。しかし、18年6月にトランプ米大統領が米朝首脳会談を実現させると、会談の度に「生きている間に解決を見届けたい」と希望を抱いた。

 毎年、恵子さんの誕生日の1月12日には自宅で赤飯やケーキを机に並べ、一緒に祝える日が戻ってくることだけを願い続けた。「拉致された人が戻るよう朝晩、神頼みしている。恵子は必ず帰ってくると信じている」と話していた。

 「優しく抱きしめて『お帰り』だけかな」。日頃から北朝鮮から帰国した恵子さんに再会した時にかける言葉は決めていたが、ついに言えなかった。

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1039830 0 国内 2020/02/06 11:53:00 2020/02/06 13:07:08 2020/02/06 13:07:08 拉致被害者家族会と支援組織「救う会」などは22日、北朝鮮が日朝政府間協議で約束した拉致被害者らの再調査の開始を前に、東京都内で緊急集会を開いた。有本恵子さん家族・集会で発言する母親の有本嘉代子さん。東京都港区で。2014年6月22日撮影。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/02/20200206-OYT1I50026-T.jpg?type=thumbnail

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