終わらぬ夏<3>幼年学校「命を捧げよ」…作家・精神科医 加賀乙彦さん(91)

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かが・おとひこ 1929年東京生まれ。東京大医学部卒。死刑確定囚の精神の軌跡を描いた『宣告』(日本文学大賞)、『錨のない船』、『湿原』(大佛次郎賞)など長編小説で知られ、ライフワークの『永遠の都』は最近、ロシア語訳がロシアで刊行された。日本芸術院会員。2011年文化功労者。
かが・おとひこ 1929年東京生まれ。東京大医学部卒。死刑確定囚の精神の軌跡を描いた『宣告』(日本文学大賞)、『錨のない船』、『湿原』(大佛次郎賞)など長編小説で知られ、ライフワークの『永遠の都』は最近、ロシア語訳がロシアで刊行された。日本芸術院会員。2011年文化功労者。

 育ったのは東京・新宿の明治通り沿い。近くの戸山ヶ原には陸軍の射撃場や陸軍病院があり、兵隊が通る(にぎ)やかな道でした。幼稚園時代に起きた2・26事件(1936年)が最初の記憶です。危ないからと言われ、家にいたことを覚えています。(聞き手 鵜飼哲夫、写真 鈴木竜三)

 「どうせ軍隊に行くなら早い方がいい」と両親に勧められ、43年、よく知らないまま名古屋陸軍幼年学校に進みました。はじめからなんか嫌でしたね。まだ14歳の少年に、全寮制の将校養成所は連日、「お前たちは、天皇様のために命を(ささ)げよ」と、「名誉の戦死」を(たた)きこんだからです。

 午前の仏語、国語など「学科」は楽しかったけれど、都会育ちのひ弱な僕には軍事教練や柔剣道をする午後の「術科」はつらかった。軍歌を(そら)んじて歩く演習にも閉口しました。

 早朝の軍人勅諭奉読に間に合わなかったことを模範生徒に暴かれた日のことは鮮明です。「陛下にお()びしろ」と言われ、思わず「死ぬ」と口走ったものの、刀の先を腹にチクチク刺すぐらいしかできず、臆病者とからかわれたのです。

 45年5月の名古屋空襲で、国宝・名古屋城が燃え落ちた後の戦争末期です。米軍上陸に備え、「タコツボ」という自分が入る穴を掘らされました。土が硬くて、大変でしたよ。要するに敵がやって来たら穴まで()って行き、身を隠し、ガソリンを入れたガラス瓶を戦車に投げつける――。そんな訓練を毎日しました。

 そうして8月15日を迎えました。

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1382541 0 社会 2020/08/03 05:00:00 2020/08/13 16:54:14 2020/08/13 16:54:14 戦後企画用、加賀乙彦さん(7月8日、東京都文京区で)=鈴木竜三撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/08/20200802-OYT1I50055-T.jpg?type=thumbnail

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