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太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍が首里城(那覇市)周辺の地下に構築した第32軍司令部
公開されたのは、計5本ある坑道のうち、県が鉄製の支柱などで補強した第5坑道の約150メートル。鉄製の扉の奥に、琉球石灰岩などを掘削した高さ約1・7メートル、幅約2メートルの通路が続き、壁面にはツルハシの跡が刻まれ、朽ちたヘルメットや軍靴などが残されていた。岩盤が崩落した場所もあり、地面には水も流れていた。
壕の総延長は1キロ以上とされ、司令官室や作戦参謀室、炊事場などが設けられた。1945年3月下旬から使用され、第32軍司令部が沖縄本島南部に撤退する同年5月下旬までの拠点となった。
これまでも一般公開が検討され、県は2012年度に専門家による調査を実施したが、安全対策が難しいとして非公開を決めた。ただ昨年10月に首里城の火災が起き、地下の司令部壕にも注目が集まった。那覇市議会は今年6月、「沖縄戦の実相の全体像が凝縮した重要な戦争遺跡。保存・公開は後世への継承のために必要不可欠だ」とする意見書を全会一致で可決した。
戦争体験者の高齢化は進み、司令部壕の状況を知る人は少ない。
沖縄県