終わらぬ夏<5>迫る戦闘機 顔が見えた…物理学者・俳人 有馬朗人さん(89)

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 1945年の5月頃、実によく晴れた日のことです。静岡県の旧制浜松一中(現浜松北高)の生徒だった私は、勤労動員で飛行機部品の工場にいました。(聞き手 古沢由紀子、写真 鈴木竜三)

ありま・あきと 武蔵学園長、静岡文化芸術大理事長。大阪市生まれ。東京大理学部卒。専門は原子核物理学。東大学長、理化学研究所理事長などを経て、1998年に参院議員、文相兼科学技術庁長官を務める。2010年文化勲章受章。句集「黙示」で18年に蛇笏賞。国際俳句交流協会会長。
ありま・あきと 武蔵学園長、静岡文化芸術大理事長。大阪市生まれ。東京大理学部卒。専門は原子核物理学。東大学長、理化学研究所理事長などを経て、1998年に参院議員、文相兼科学技術庁長官を務める。2010年文化勲章受章。句集「黙示」で18年に蛇笏賞。国際俳句交流協会会長。

 空襲警報が鳴り浜名湖の方に逃げていくと、いつもと様子が違う。頻繁に襲来したB29爆撃機ではなく、低空で戦闘機が迫っていたのです。操縦士の顔が見えた瞬間に銃弾が飛んできて、私たち中学生を追いかけてくる。機銃掃射でした。

 数人で逃げ込んだ竹藪(たけやぶ)に銃弾が撃ち込まれ、パチーン、パチーンと竹に当たる。かろうじて皆助かりましたが、生涯で最も大きな恐怖の体験です。

 父の転勤で移り住んだ浜松周辺は軍需工場が多く、度重なる空襲がありました。級友が直撃を受け、近所では若い母親が子を抱いたまま亡くなっていた。

 6月の大空襲で我が家も焼けました。翌朝、中心街の橋に多くの遺体が並んでいたのを覚えています。

 驚いたのが、7月末の艦砲射撃です。家族で逃れていた山間部からも青い光が見えて、ドカン、ドカンと轟音(ごうおん)が響きました。沖合の戦艦から浜松駅前などに大砲が撃ち込まれたのです。「敵が上陸してくるのでは」と危機感が募りました。

 〈竹の皮散る機銃掃射や我狙ひ〉

 〈友の死や雲の峯よりB29〉

 敗戦から75年の今夏に詠んだ句です。戦争で軍事施設だけが攻撃されるなんて(うそ)だ、と今も思う。無辜(むこ)の市民が犠牲になる恐ろしさを体験したからです。

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1387986 0 社会 2020/08/05 05:00:00 2020/08/13 17:17:22 2020/08/13 17:17:22 戦後企画用、有馬朗人さん(21日、浜松市の静岡県立浜松北高で)=鈴木竜三撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/08/20200804-OYT1I50052-T.jpg?type=thumbnail

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