終わらぬ夏<11>20勝投手 絶頂期の特攻…元米マイナーリーガー 石丸泰輔さん(42)

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いしまる・たいすけ 東京生まれ。1996年、神奈川・法政二高を卒業後に米大リーグのマイナーリーグで投手として2球団で2シーズンプレーした。米独立リーグ、台湾プロ野球を経て2000年に引退。現在は不動産業を営む。
いしまる・たいすけ 東京生まれ。1996年、神奈川・法政二高を卒業後に米大リーグのマイナーリーグで投手として2球団で2シーズンプレーした。米独立リーグ、台湾プロ野球を経て2000年に引退。現在は不動産業を営む。

たとえばプロ野球や大リーグで活躍しているスター選手がキャリアの絶頂期に戦死するなんてことが考えられますか? 私の祖父、石丸藤吉の弟で、私にとって大叔父にあたる石丸進一はまさに、そんな時に命を落としたのです。(聞き手 太田朋男、写真 平 博之)

 職業野球名古屋軍(現中日ドラゴンズ)のエースだった進一は1943年、海軍に召集され、45年5月11日、特攻隊員として鹿児島の鹿屋基地から飛び立ち、消息を絶ちました。

 前日、出撃が決まると大学野球出身の同期隊員に「いっちょうやるか!」と声をかけ、最後のキャッチボールを始めました。愛用のグラブをはめ、この日のために、とっておいた真新しいボールを手にしました。胸中はどんな思いだったのか。10球連続ストライクを投げ込む鬼気迫る投球だったと伝えられています。

 遺書には「野球をやれて幸せだった。忠と孝を貫いた人生。24歳(数え年)で死んでも悔いはない」などとつづられていました。祖父は後に「キャッチボールをしている進一の胸の中には生もなく死もなかった」と弟の心中を察しています。

 プロで20勝した投手が、来年野球ができないと言われ、悔いがないはずがない。ただ、戦後75年が過ぎても、石丸進一は球史に名を残しています。平和な時代にメッセージを伝える人間として生まれたのかもしれない。だとしたら、元々、我々と次元の違う所にいて、後悔などなかったかもしれません。

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1400737 0 社会 2020/08/11 05:00:00 2020/08/12 08:27:40 2020/08/12 08:27:40 プロ野球名古屋軍のエースとして活躍し、特攻隊員として戦死した石丸進一について語る石丸泰輔さん(7月16日、東京都杉並区で)=平博之撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/08/20200810-OYT1I50039-T.jpg?type=thumbnail

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