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日本で最初にラーメン食べたのは誰?いつ?

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 日本で最初にラーメン(中華麺)を食べたのは誰で、いつなのか。従来は江戸時代、水戸黄門として知られる徳川光圀みつくにとされてきたが、最新の研究で1300年代の南北朝時代、後醍醐天皇の皇子とされる禅僧にまで遡ることが分かった。中華麺のルーツとされる経帯麺けいたいめんの文言が禅僧の詩に見つかったためだ。国民食の歴史研究に一石を投じる新見解として注目される。

 新横浜ラーメン博物館などによると、中華麺の定義は小麦粉にかん水(アルカリ塩水溶液)を加え、しなやかさとコシを出して作った麺。現在の形のラーメンは明治以降に広まったとされるが、徳川光圀が1697年に中国の儒学者に教わった麺を作り、家臣にふるまったとする記録が残っていることなどから、光圀が日本で最初に“ラーメン”を食べたとされてきた。

 経帯麺を中華麺のルーツとする見解は、麺の歴史に詳しいそば研究家の稲澤敏行さんの協力を受けた同館が2017年、室町時代の京都の僧の日記(1488年)に経帯麺の文言を確認し、「日本で最初の中華麺」の記録として公表。その後、芳澤はじめ・明星大准教授(日本中世史)が南北朝時代(1336~92年)の禅僧・龍泉令淬りょうせんりょうずいの漢詩集「松山集しょうざんしゅう」に「経帯麺」と題した詩があるのを見つけ、今年、学術誌「藝能史研究」に研究成果を発表した。

 詩には「看佗平展也奇哉」〈平たく伸されるところを見よ、これまた見事なものだ〉、「五千余巻枯腸裡」〈五千余巻(の大蔵経を結えるだけの量に切ったら、あとは)きっ腹の中へ〉などと感想が書かれ、麺をごちそうになったことへの返礼とみられる。芳澤准教授は「経帯麺については今後、さらに古い文献から食べ方などの情報が見つかるかもしれない」と期待する。

 龍泉令淬は晩年の数年を福岡・博多の承天寺で過ごした。伊藤幸司・九州大教授(日本中世史)によると、日本と中国(元)は元寇げんこうなどで緊張関係にあったが、民間交易は断続的に行われ、博多はその玄関口。承天寺も貿易商人や禅僧の交流の場として機能した。伊藤教授は「承天寺は中国の最新の情報や食文化がもたらされた場所で、龍泉令淬も承天寺の在籍時に経帯麺を食した可能性が高い」と分析する。

 ◆経帯麺=中国元代、1300年代の百科辞書「居家必要事類きょかひつようじるい」に、かん水入りの小麦麺として製法が記載されている。経巻(巻物の経典)を結ぶ帯に似た、やや幅広な麺であることが名前の由来。製法には「かけ汁は任意」とされている。

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1496004 0 社会 2020/09/23 15:00:00 2020/09/23 18:10:02 2020/09/23 18:10:02

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