「東京23区」カネはある・人口も多い、ないものは…

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[New門]は、旬のニュースを記者が解き明かすコーナーです。今回のテーマは「東京23区」。

 人もカネも一極集中する首都・東京。その中心にある東京23区には潤沢な財政力を背景に、新型コロナウイルス対策として全区民に現金を一律支給する区もある。ただ現場からは権限が制約され、思うような住民サービスができないとの不満も漏れる。どういうわけだろう。

求めたのは「自治権」…保健所設置や清掃事業の権限、徐々に移譲

 「自治権一つすら満足に有しない市民は何と気の毒なことか」――。これは1972年の「世田谷区議会だより」に区民から寄せられた投書の一節だ。当時の23区は東京都の内部団体にすぎず、住民は区長を選挙で選べなかった。23区の歩みは自治権拡充を訴え続けた歴史でもある。

 23区の原型は1878年(明治11年)に置かれた神田、四谷、本所、本郷など15区。都市部の拡大に伴って35区に増え、現在の形になったのは1947年。地方自治法で「特別区」と規定された。戦災復興のため、国は都に権限を集中させたが、高度経済成長期に入って、人口が急増すると、住民の生活に直接関わる問題が各地で噴出した。

 例えば、「ごみ戦争」。都は66年、杉並区に清掃工場を建設すると発表したが、地元住民は「事前の説明がない」と反発。法廷闘争に発展し、着工までに10年以上かかった。また23区のごみ処理を一手に引き受けていた江東区では、ごみに群がるハエや行き交うごみ収集車の多さに住民の不満が爆発。72~73年には区議らが道路を遮り、収集車の通行を実力で阻止した。

 住民の意向がないがしろにされる事態に、「独立」の機運が高まっていく。当時の区長は都知事の同意を得て区議会が選任していたが、一部の区はその候補者を住民投票で選ぶようになった。こうした動きが75年の区長公選制へとつながり、都から保健所設置や職員人事、清掃事業などの権限が次々に移譲。2000年の改正地方自治法施行でようやく、特別区は一般の市町村と同じ「基礎自治体」となった。

「区役所の方が住民に近いのに…」今ももどかしさ

 ただ、人口92万人の世田谷区を筆頭に23区のほとんどは、中核市(人口20万人以上)や政令指定都市(同50万人以上)と同じか、それ以上の規模だ。さらなる権限移譲を求める声は多く、都と23区は2006年に「都区のあり方検討委員会」を設置。都から区に移管する事務を協議し、53項目について「区に移管する方向で検討」と合意したが、実現したのは「児童相談所の設置」など一部にとどまる。

 世田谷区では数年前、経営難で閉鎖・休園する認可外保育園が相次いだ。利用者から「保育士が足りていない」「衛生環境が悪い」と苦情が寄せられたが、区職員は「区に権限がないので、所管する都に伝えます」と説明するほかなかったという。

 指導監督の権限が都道府県や中核市にしかないためで、区幹部は「区役所の方が住民との距離が近いのに、直接対応できないもどかしさがあった」と打ち明ける。

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1640321 0 社会 2020/11/20 05:00:00 2020/11/20 09:13:57 2020/11/20 09:13:57 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201119-OYT1I50058-T.jpg?type=thumbnail

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