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「五輪から五輪まで、切りがいい」…都電荒川線の停留場前の古書店が来年閉店へ

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 東京五輪があった1964年から都電荒川線の停留場前で営業を続けてきた古書店「梶原書店」(東京都北区)が、周辺の道路拡張に伴い、東京五輪・パラリンピックのある来年にも店を閉じることになった。半世紀以上、行き交う人々と街の変容を見守り、一人息子を大好きな競馬界に送り込んだ老店主は「五輪から五輪まで、一つの時代として切りがいい」と話し、最後の年の瀬を迎えている。(増田知基)

都電荒川線のホームの目の前にある「梶原書店」と店主の根本健一さん(2日、東京都北区で)=富永健太郎撮影
都電荒川線のホームの目の前にある「梶原書店」と店主の根本健一さん(2日、東京都北区で)=富永健太郎撮影

 「今はワンマン運転だけど、車掌がいた時代は『発車オーライ』って声が聞こえたよ。コンビニもない頃は都電で本や雑誌を買いにくる人も多くてね」。店主の根本健一さん(85)が振り返る。

 都電荒川線「梶原停留場」の早稲田方面行きホームから、わずか3歩ほど。赤いひさしをくぐると店内だ。年季の入った和装本や美術書などのほか、小説や大衆雑誌などが雑然と並んでいる。根本さんは店の2階で暮らし、常連客から「梶原さん」と呼ばれている。

 戦前、父が旧本郷区(現在の文京区)で古書店を営んでいたが、空襲で焼け出された。戦後、荒川区に店を開いたが、火葬場近くで客足は伸びず、日本中が東京五輪に沸いていた64年に今の借家へ移転した。

 それから半世紀余りたち、店の裏手を通る「明治通り」の拡張に伴い、立ち退きの対象になった。根本さんは本を運ぶために車の運転免許を持ち続けてきたが、年齢も踏まえ、来年秋の期限には更新せず、それまでに店を閉じるつもりだ。

     ◎

 根本さんは昔から詩を書くことが好きで、仕事の傍ら、1970年代には曲を作詞し、自主盤レコードを発売した。その一つが、都電の日常を歌う「東京のチンチン電車」だ。

 ♪お勤め行く人 急ぐ人 たった一つの荒川線 思い出あります 夢もある

 当時、付近にキリンビール東京工場があった。夜になると近くの「梶原銀座商店街」は工員であふれ、酔客がぶらりと立ち寄っては本や雑誌を買い、都電に揺られて家路についた。工場は98年に閉鎖されたが、「いつも人が行き交うこの場所はいい」と愛着を語る。

 作ったレコードの中には、一人息子に贈った「夢みるダービージョッキー」もあった。大の競馬好きが高じ、長男の康広さん(64)が中学3年の時、本人に黙って騎手に応募。最初は「騎手にはならねえ」と渋っていた康広さんだったが、根本さんの強い勧めに根負けして受験。試験に通り、騎手養成所に入った。しかし、卒業試験に3度失敗してしまう。そんな息子にエールを送る歌だった。

 ♪小さな体 折り曲げる 僕ら少年 見習いジョッキー 雨の日 風の日 なんのその

 ♪男だ なんで泣くものか こするまなこの 月あかり

 4度目の試験を突破した康広さんは21歳で念願の騎手デビューを果たし、やがて伝説的な騎手となる。

2位に6馬身の大差をつけて「日本ダービー」を制したメリーナイス。根本康広さんが手綱を握った(1987年5月)
2位に6馬身の大差をつけて「日本ダービー」を制したメリーナイス。根本康広さんが手綱を握った(1987年5月)

 85年秋の天皇賞で13番人気のギャロップダイナの手綱を握ると、「皇帝」と呼ばれたGI馬のシンボリルドルフを振り切る大金星。87年の日本ダービーでは4番人気のメリーナイスに乗り、2着に6馬身差をつける世紀の名レースでダービーを制した。

 ♪きっといつかは このむちで ああ 夢に見る ダービージョッキー

 デビュー前に書いた詞が現実になった。夢をかなえてくれた息子が誇らしかった。当時を思い出し、根本さんは「本当に夢みたいだった」と目を潤ませる。

 康広さんは97年に引退して調教師となり、現在は日本中央競馬会(JRA)唯一の現役女性騎手、藤田菜七子さん(23)を指導する。「あの歌は結構なプレッシャーだったな」と苦笑しつつ、「オヤジがいなければ今の私はいない」と感謝している。

 ♪チンチン電車で 朝がくる ガタンゴトンガタンゴトン 音たてて (東京のチンチン電車)

 この半世紀、朝から晩までガタンゴトン、ガタンゴトン。「チンチンうるさいところでよく商売をやるね」と言われることもあるが、根本さんは「悪くないよ」と答えてきた。今年は新型コロナウイルスの感染が拡大したが、根本さんは4~5月の緊急事態宣言中も店を開けた。街を出歩く人は減っても、荒川線は動いていたからだ。

 「せがれはこんなに小さな店から成功した。ここには夢も思い出もある。新型コロナで経営は厳しいけど、私も最後まで頑張るよ」

荒川線 下町の足

 東京都交通局によると、都内の路面電車は1903年、新橋―品川間に開業。11年に当時の東京市が買収し、事業を拡大した。昭和30年代には約40系統、総延長約210キロで、浅草・雷門や東京タワー付近などのほか、霞が関や大手町にも停留場があった。

 その後、マイカー時代の到来で渋滞に巻きこまれることが増え、利用者は減っていった。都は地下鉄の整備を進め、67年に都電の廃止を決定。ただ、荒川線は一般車道を走る距離が短くて渋滞が起きづらく、住民の要望もあり唯一存続が決まった。

 現在の荒川線は三ノ輪橋(荒川区)―早稲田(新宿区)間の12.2キロ。2018年度には1日平均4万7504人が利用し、下町の身近な足となっている。

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1682541 0 社会 2020/12/07 15:00:00 2020/12/07 15:00:00 2020/12/07 15:00:00 都電荒川線の間際に建つ店舗の前で創業当時の思い出を話す「梶原書店」の根本健一さん(12月2日、東京都北区で)=富永健太郎撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201207-OYT1I50052-T.jpg?type=thumbnail

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