医療事故で亡くなった長男に今も届く誕生日カード、持ち歩く母の思いは…
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自宅のポストに、1枚の絵はがきが届いた。今年3月中旬のこと。描かれていたのは、男の子と女の子、ウサギたちが楽器を演奏しているイラスト。長男・

「また1年たったんだね」。手に取った母親(41)は、そっとつぶやいた。孝祐ちゃんは6年前、病院で手術を受けた後に亡くなった。2歳10か月だった。送り主は、定期購読していた絵本の出版社。あの日から連絡できないまま、もう7枚になる。届くたび、普段は押し殺している記憶が鮮烈によみがえる。
2014年2月18日、孝祐ちゃんは東京都新宿区の東京女子医大病院で、首にできた良性腫瘍を取り除く手術を受けた。手術時間はたったの7分。母親はICU(集中治療室)を1日ほどで出られると聞いていた。
しかし、意識は戻らず、人工呼吸器は外されなかった。面会するたび、顔や手のむくみがひどくなり、4日目に容体が急変。心臓マッサージの最中に「こっちだよ」と大声で呼びかけたが、息を引き取った。
死後、鎮静剤「プロポフォール」が投与されていたことを知った。患者が動いて人工呼吸器が外れるのを防ぐために使われるケースが多いが、ICUで人工呼吸器をつけた子どもへの使用は「禁忌」とされる。なぜそんな薬が使われたのか。真相を知りたいと、警視庁に被害届を提出した。
病院への怒りは当然、湧いた。同時に自分を激しく責めた。どうして手術を受けさせたのか。なぜ、あの病院を選んでしまったのか。
交錯する思いの中で、ある感情が強くなっていった。「孝祐に恥ずかしくない生き方をしたい」。仕事に打ち込み、読経を繰り返した。事故の2年半後には、病院側を相手取って民事訴訟も起こした。
訴訟資料の作成では、病院から入手したカルテや、つけていた日記、事故後に病院とやりとりした記録を繰り返し読んだ。懸命に記憶もたどり、手術の経過や孝祐ちゃんの容体を詳細に書き起こした。
資料にはつらい記憶も盛り込んだ。亡くなった後、小さな体を洗い清めて、ベッドに寝かせた様子。話しかけながら、おでこや手をさすると、肌が冷たく、硬くなっていったこと……。
今年2月20日、初めて民事訴訟の法廷に立った。当日朝までリハーサルを重ねた。袋に入れてお守りにしている遺髪と爪をポケットに忍ばせた。法廷では、術前に十分な説明を受けていないことを丁寧に語った。リハーサル通りでなかったのは、弁護士から「他に言いたいことはないですか」と問われた時だ。
とっさに、願い続ける言葉が口をついて出た。「何よりも、孝祐に会いたい気持ちでいっぱいです」
こうした間も誕生日カードは届き続けた。おもちゃの電車や拾ったドングリを持って、「見て見て!」と笑う姿が浮かぶ。
「今でも、誰かが孝祐の誕生日を祝ってくれていると思うと、うれしく、力をもらえる気がする」。そんな思いから、カードを手帳に挟んで持ち歩いている。
事故から6年8か月たった今年10月。警視庁は、ICUで適切な管理を怠ったとして、病院の麻酔科医ら6人を業務上過失致死容疑で書類送検した。今後は刑事処分が検討され、民事訴訟の判決も来春に出る見通しだ。母親は取材の終わり際に「もう、医療事故でつらい思いをする人が出ないでほしい」とも話してくれた。記者として伝えていく責務をかみしめている。(大井雅之)