無人島で12年間「0円生活」、手作り船で230キロ離れた島に脱出した江戸時代の超人
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テレビでは、芸能人が無人島で「0円生活」に挑戦したり、船を作って島からの脱出を試みたりする番組が人気を集めている。江戸時代、漂流後たどり着いた無人島で12年間生き延び、そこから手作りの船で230キロ先の別の島に渡って脱出に成功した人物がいたことを知っているだろうか。今年で没後200年。その人物の足跡をたどった。(2020年5月9日付読売新聞高知県版から)
坂本龍馬、岩崎弥太郎、板垣退助、寺田寅彦……。歴史の教科書で紹介される偉人を輩出する高知。でも、「あそこに立つ銅像は誰?」「この看板で紹介されている人、どんな人?」と、気になった経験がある人も多いはず。知っていると、ちょっぴり自慢になる、「わがまちの偉人」を紹介する。(浦一貴)
「東洋のロビンソン・クルーソー」

「生きるために様々な工夫を凝らした。決して諦めることがなかった」
節目の年を前に像の修復を計画する準備委員会の矢野佳仁会長は、地元の英雄をそう語る。
強風に襲われ船で漂流し、無人島へ
近藤勝氏が著した「無人島長平物語」によると、ここで生まれた船乗りだった。旧暦の天明5年(1785年)1月、「天明の大
船は損傷、
無人島での壮絶なサバイバル生活

周囲8.5キロの小島。4人は岩穴で生活し、加工した
長平は1年5か月、孤独を強いられた。木ぎれで数珠玉を毎日一つ作り、年月を数えたという。天明8年(88年)1月に大坂の船が、寛政2年(90年)1月には薩摩の船が漂着し、火打ちや大工の道具が手に入った。それでも助けを待つうちに4人が死亡。同6年(94年)の夏、残った14人で、流木を集めて船造りを始めた。
手作りの帆掛け船で無人島を脱出
足りない道具や釘は、いかりを溶かして作り、衣服をほどいて帆を仕立てた。長さ11メートル、幅2メートルの帆掛け船は3年がかりで仕上げた。
島を離れるにあたり、長平は、「今後漂着する人のため」と、アホウドリを干物にすれば保存食となると記した板や道具を岩穴に残した。同9年(97年)6月に出帆。6日間の航海で、約230キロ離れた有人の青ヶ島に到着。島民の船で向かった八丈島や江戸で、役人の取り調べを受けた後、同10年(98年)2月、土佐の地を踏んだ。