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「江戸時代の生活は、いつも病と隣り合わせだった」。仙台市青葉区のホテルメトロポリタン仙台で4日に開かれた「読売

国文学研究資料館(東京都立川市)の館長を務めるキャンベルさんは、新型コロナの影響で同館に外部の人を受け入れられなくなった頃、収蔵庫で一人、思索にふける日々が続いた。それが、近代医学の確立以前に日本人が感染症とどう向き合い、社会が再生していったかを考え直すきっかけになったという。

講演で紹介したのが、江戸後期に起きた天保の大
現在では幼少期からワクチンで守られ、感染症の多くを克服しているが、「(江戸時代では)はしかを例にとると、だいたい25年の間に流行が起きる。平均寿命が50歳だとすると、2回くらい。心の備えができるので、記憶から色々なことを思い出すことができる。江戸には江戸の知恵や技術がある」と指摘した。
その一例が、客の行動。感染症が街を襲うと、ネットもテレビもないのに、人々は流行を察知し、行動を変容させた。「夜の街」も閑散としたといい、「町奉行所が営業停止を言うまでもなく客が引く。波が去るのをひたすら待つというわけです」と、過去の日本人の“自粛”行動を評価した。
今でも、コロナ感染対策は、営業時間短縮など国民の自粛が基本になっている。「江戸時代も、それぞれの組合や業種、町の人たち、お寺を中心とする自治会のようなものが、ガイドラインを作り、その中で現場にあった課題解決を考え、自粛するという歴史的な経験があった。そんなことを、記録資料から学ぶことができる」と語った。
宮城県大崎市で旅館などを経営する「サトー」の浅沼政幸副社長(59)は、「過去の歴史を知ることで、自分たちが歩むべき道を歩んでいきたいと思わせる講演だった」と話していた。