「あの日」思い出し、声掛け合い避難所へ…「後悔しない行動を」「冷静にできた」

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 福島、宮城で最大震度6強を観測した13日深夜の地震。東日本大震災から10年となる被災地では、「あの日」の教訓を生かし、内陸の高台に向かって走ったり、声を掛けあいながら避難所を目指したりする人の姿があった。

一部地域で断水が続き、給水車から水をくむ人たち(15日午前9時3分、宮城県山元町で)=原田拓未撮影
一部地域で断水が続き、給水車から水をくむ人たち(15日午前9時3分、宮城県山元町で)=原田拓未撮影

 「まさか、また大地震がきたのか」。東京電力福島第一原発事故で福島県浪江町から避難し、相馬市で暮らす自営業の男性(80)は激しい揺れと、遠くから聞こえる地鳴りのような音で2011年3月の震災を思い出した。

 自宅は市内の高台に再建したが、津波への警戒心は消えていなかった。揺れが収まると、「後悔しない行動を」と考え、さらに内陸にある避難所の体育館に家族4人で逃げた。結局、津波は発生しなかったが、「過去の経験を生かし、冷静に行動できた」と振り返った。

 震災の津波で自宅を流された相馬市の漁師の男性(70)は、内陸部の高台に自宅を再建。この家に地震直後、沿岸部で暮らす次男が避難してきた。近隣の住宅にも、同じように知人や親戚らが相次いで逃げてきたという。

 普段から非常食や懐中電灯、軍手など防災用品の準備を欠かさない男性。「地震が来たら沿岸部からすぐ逃げる。備蓄も含め、基本的な対策が地域に根付いてきている」と語った。

 「今回は落ち着いて行動できた」。郡山市のコンサルティング会社経営の男性(40)は、避難先の市総合福祉センターでこう話した。

 13日は震度6弱の強い揺れで自宅マンションの柱が損壊し、扉の開け閉めができなくなった。食料のほか、新型コロナウイルス対策のマスクや消毒液を持ち、同じマンションに住む高齢者3人を車に乗せて避難した。

 妻と同乗させてもらった78歳の男性は「高齢で移動の足もなかったので、本当に助かった。ご近所付き合いの大切さを実感した」と話した。

 東日本大震災や阪神大震災では、火災も多く発生した。今回の地震発生時、仙台市青葉区の繁華街・国分町で営業中だった居酒屋「金市朗」の鈴木章弘さん(59)は、「震災の教訓ですぐに火の元を閉め、店の入り口を開けた。久々に怖い思いをした」と語った。

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1843552 0 社会 2021/02/15 14:27:00 2021/02/15 14:27:00 2021/02/15 14:27:00 地震から2日経ち、断水が続く山元町の一部地域では給水が行われた(15日午前9時3分、宮城県山元町坂元舘下で)=原田拓未撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210215-OYT1I50021-T.jpg?type=thumbnail

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