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コロナ社会が問いかける先は…エスカレーター「片側空け」を考える

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 「エスカレーターでは歩かない」ことを利用者に求める条例案が、26日の埼玉県議会2月定例会最終日で可決、成立する見通しだ。業界団体や鉄道会社がエスカレーターの安全利用の呼びかけを行っているが、急ぐ人のために片側を空ける習慣は根強い。また、昨今のコロナ社会がエスカレーターの利用マナーに及ぼす影響も無視できないだろう。私たちはどう考え、行動すれば良いのか。「片側空けは時代遅れ」という、文化人類学者の斗鬼正一さん(江戸川大学名誉教授)に話を聞いた。(編集委員 千葉直樹)

約50年前の大阪が発祥地とされる「片側空け」(阪急大阪梅田駅で、2019年撮影)
約50年前の大阪が発祥地とされる「片側空け」(阪急大阪梅田駅で、2019年撮影)

自主性をうたった埼玉県の条例は関心喚起のチャンス

Q 埼玉県の条例案は、利用者が立ち止まった状態で利用しなければならないことや、知事が管理者に対して必要な指導、助言、勧告ができることなどが明記されています。どう思いますか。

 上からの強制、監視、罰則ではなく、利用者の自主性を強調している点は良いと思いますが、本当は残念でもあります。マナーの問題は、本来は市民が正しい認識で自主的に考え、行動すべきだと思うからです。しかし、長い目で見ればメーカーや設置者に対応を促すきっかけとして、そして、コロナ禍でエスカレーター問題への関心が低下している状況で人々の関心を喚起するという点で意義のあることです。この条例がひとつのチャンスを作っていると思います。

Q コロナ社会で、エスカレーターマナーに変化はありますか。

 コロナの「副反応」とも言える現象があります。潔癖症の社会がますます進んでベルトに触りたくない、ソーシャルディスタンスで隣に立たれるのが嫌だ――。また、人とのコミュニケーションを避けたいのか、エスカレーターで追い越す時に無言で通り過ぎていく。ヨーロッパなどでは片側空けをしていても追い越す人が声がけをすることも多いです。

 ネットの掲示板の書き込みでは「のろのろ歩くな」「エレベーターに乗れ」といったものからエスカレートして「ぶつかったぐらいで転ぶ方が悪い」「家から出るな」とまで。エスカレーター問題で標的になるのは高齢者や障害者など社会的弱者です。コロナが生んだ〈敵対、分断、差別〉がますます顕著になり、心のゆとりや倫理観に問題が出てきたような気がします。

こんなエスカレーターはできないか?柔軟な発想にも期待

Q コロナ禍で進んでいるイノベーション(技術革新)にも注目されていますね。

 足で操作する自販機、タッチレスパネル、セルフレジなどがコロナ禍をきっかけに広がったように、エスカレーターの世界でもイノベーションを期待できないでしょうか。例えば、ひじでタッチするベルトや、ベルト消毒液の塗布器、そして、歩けない(歩く必要のない)エスカレーターの開発といったことです。技術的な可能性はよく分かりませんが、ステップの高さが40センチとか、奥行きが50センチとか、高さや奥行きが一段ごとにバラバラだったら歩かないですよね。

 実例は少ないですが、らせん状に進む「スパイラルエスカレーター」も歩きにくいです。歴史を振り返ると、初期には「斜行エスカレーター」というものがありました。段ではなくスロープだから、ベルトにつかまらないと乗れないんです。

 メーカーや設置者の発想転換にも期待したいです。必ず階段を併設する、エレベーターを増設し、設置位置を改善する。絶対追い越せない、狭い幅のエスカレーターへの転換を、森ビル(東京都)では積極的に進めています。それとは逆の発想で、幅をうんと広くする。19世紀末には、幅3メートルくらいのものがあったそうです。人が楽に歩けるぐらいの幅にしたらどうなるでしょうかね。

前後に3段分空く「ジグザグ乗り」をうながす足形がついたエスカレーター(千葉市内で)
前後に3段分空く「ジグザグ乗り」をうながす足形がついたエスカレーター(千葉市内で)

Q 機械に頼らない、発想の転換も必要ですね。

 使い方の革新も大事です。会計やトイレなどですっかり定着した「フォーク並び」のような考え方をエスカレーターに導入できないか。文京学院大学の学生が考えた「ジグザグ乗り」というのがあります。1段ずつ空けながら左右交互に立つ、つまり前後の人とは3段の間隔が空き、他人に隣に立ってほしくない人にもちょうどいい。ネーミングが素晴らしいですね。

 遊び心も必要でしょう。JR大阪駅ではホームに向かう上り階段を使って、仕事帰りに行きたい街を人気投票してもらう実験をしました。人の流れを、混雑するエスカレーターから階段に誘導する試みで、センサーが歩行者を感知して投票総数が表示される。これも学生の発案だそうです。昔はデパートにエスカレーターガールがいました。乗り口に立っていて、安全確保やお客さんへのあいさつ、そしてベルトをぞうきんで拭いていました。こういう人がいれば歩きにくいと思うので復活させてもらいたいです。声がけや手助けを当たり前にすることは機械で対応するより大事なことだと思います。

空いている側にしか立てない人もいる

Q そもそも、エスカレーターの片側空けはいつごろから始まったのですか。

 世界で初めて、片側空けが呼びかけられたのは1944年ごろのロンドンの地下鉄です。第2次世界大戦中、挙国一致の掛け声のもと国家が人々を統制し、効率が優先されて「左空け」が以降、習慣として定着しました。

 日本では高度成長期の1967年に駅舎を移転して動く歩道やエスカレーターが設置された阪急の梅田駅(現在は大阪梅田駅)で「左空け」を呼びかけるアナウンスをしたのが始まりです。東京では「右空け」で、バブル経済期の1980年代後半に、都内でも有数の長さだった営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線の新御茶ノ水駅で自然発生的に始まり、同じころ東京駅、新橋駅でも深い地下駅に通ずるエスカレーターで発生しています。いずれも、効率や生産性が優先で、「早いことは良いこと」という時代背景がありました。

1972年(昭和47年)の東京駅。地下から上がる長いエスカレーターでは、まだ片側空けは発生していないように見える
1972年(昭和47年)の東京駅。地下から上がる長いエスカレーターでは、まだ片側空けは発生していないように見える

Q 当時のメディアを見ても、「急ぐ人に片側譲って」などの見出しの記事があり、肯定的なとらえ方がされています。その後、意識が変わるきっかけがあったのでしょうか。

 欧米から帰国した人が片側空けについて「これこそイギリス紳士のマナー。(習慣のない)日本人は公衆道徳もマナーも悪い」というようなことを喧伝していました。かつては「いいこと」だったのです。それが、駅などにエスカレーターがどんどん増えてくると、乗り口の片側に延々と行列ができるようになった。同調圧力に弱い日本人は、片側に並ぶのが当たり前だと思うようになりましたが、本当にこれでいいのかと疑問を感じ、声を上げる人たちも増えてきました。身体に障害を持った方たちなどに日々、リハビリ治療を行っている理学療法士の方々もそうです。体が不自由で、エスカレーターで空けられた側にしか立てないという方もいるのです。

「急いで」いるのではなく、「急がされて」いる

Q 日本エレベーター協会の最新の調査ではエスカレーターでの事故が2年間で1550件、そのうち、歩いて転倒するなど「乗り方不良」に起因するものが805件(52%)です。

 エスカレーターは楽に上り下りするための機械で、歩くために作られておらず、階段とは違います。機械は取り扱い説明書通りに使うべきです。世の中には「歩いた方が早い」とか「片側空けは昔から行われている」、「歩行による事故は大した数ではない」などの認識がありますが、そんなことはありません。ロンドンの地下鉄での実験では、2列に並ぶと輸送力が3割アップしたという結果があります。

 駅にエスカレーターが増えたのはここ20年くらいのことで、片側空けの習慣は昔から広く行われていたわけではありません。先にお話しした、困っている方の実態、どちらか片側にしか立てない方のことを一般の人はあまり知らないですね。「本当の敵」を正しく恐れるためにも、エビデンス(証拠)を示すことが大事です。

Q 誤った認識もあるのですね。本当の敵とは何ですか。

 コミュニケーションの忌避や分断、敵対に見られるような、心のゆとりの欠如です。人間は未知のことや理解できないことに対して不安で、何かの説明が欲しい時には敵を特定し、排除して安心する。エスカレーター問題では、その矛先が社会的弱者に向いてしまいます。片側空けの背景にあるのは、「モーレツ主義」や「24時間戦えますか」がもてはやされ、効率がすべてだった時代の価値観です。エスカレーターの乗り方改革は、前世紀の価値観から新しい価値観へ、働き方改革、生き方改革への第一歩になります。

 コロナ社会で、時差通勤やリモートワークなど働き方も変わってきました。もっと心の豊かな生き方をしたい。私たちは急いでいるのではなく、時代の価値観に急がされてきたのです。今年は「多様性と調和」をテーマにしたオリンピックがあります。海外からのお客さんの受け入れを断念するということになりましたが、日本が新しいエスカレーターマナーを世界に示す機会はあると思います。

プロフィル
斗鬼 正一( とき・まさかず
 江戸川大学名誉教授。日本、世界の生活文化を研究する文化人類学者。1950年鎌倉生まれ。明治大学大学院博士後期課程満期退学。江戸川大学教授、明治大学兼任講師など歴任。著書に『目からウロコの文化人類学入門 人間探検ガイドブック』(ミネルヴァ書房)、『開幕!世界あたりまえ会議 私の「ふつう」は、誰かの「ありえない」』(ワニブックス)他。
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1934329 0 社会 2021/03/24 17:15:00 2021/03/25 00:23:59 2021/03/25 00:23:59 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210324-OYT1I50022-T.jpg?type=thumbnail

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