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[あれから]<12>戦後日本「碧眼の孤児」 名はマリアンヌ「私は誰?」…1956年3月

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日本の小学校に通い、友達と過ごすマリアンヌさん
日本の小学校に通い、友達と過ごすマリアンヌさん

 終戦から10年余りが過ぎた1950年代後半。その6歳の女の子は、世間から大きな注目を集めた。「碧眼(へきがん)の戦争孤児」「愛情か法律か」――。数奇な境遇をめぐって、週刊誌にはそんな記事も載った。

 スウェーデン人の母と米国人の父を持ち、日本人の養父母に横浜で育てられたマリアンヌ・ウィルソン黒田さん。母の出身国・スウェーデンが「引き渡し」を求める訴訟を起こしたことで、当時、「マリアンヌちゃん裁判」と呼ばれて話題となった。読売新聞もその経過を細かく報じている。

 裁判を経て、本人は長らく一つの問いに悩まされる。「私は、誰?」

 問い続け、答えを探し続けたマリアンヌさんは今、71歳になった。日本に根を張って、生きている。

養母と別れ 「名」を恨む…欧・米の国籍、生活は日本でも「私は私」

ぬか漬け大好きわんぱく少女 なじんだ暮らし

自宅で愛犬を抱きながら、ティータイムを過ごすマリアンヌさん(左)と夫・芳男さん(3月14日)=沼田光太郎撮影
自宅で愛犬を抱きながら、ティータイムを過ごすマリアンヌさん(左)と夫・芳男さん(3月14日)=沼田光太郎撮影

 マリアンヌ・ウィルソン黒田さん(71)の実の父は米国人で、米軍の軍属として東京で働いていたようだ。母は明治期から日本で暮らすスウェーデン人一家の娘で、米軍向けの売店で働いていた。

幼い頃、友達とお遊戯するマリアンヌさん(左から2人目)。物おじせず活発な女の子だった
幼い頃、友達とお遊戯するマリアンヌさん(左から2人目)。物おじせず活発な女の子だった

 2人は恋に落ち、横浜に住み、やがて母はマリアンヌさんを身ごもる。終戦からまだ数年しかっていない頃のことだ。

 しかし、父はマリアンヌさんが生まれる前に米国に帰った。母は日本で出産したものの、わずか1年余りで結核で亡くなってしまう。

 その後、母の父、つまりマリアンヌさんにとっての祖父たちは、スウェーデンに帰ることになった。彼らは思った。「米国にいる父親がきっと戻ってくるはず。マリアンヌは日本に残そう」と。

 そうして、1歳になったばかりのマリアンヌさんは、母と親しく、海外での滞在経験もあった「山口フミさん」という女性に預けられた。もちろん、そんな経緯を本人は知らない。ただ、養母となったフミさんとその夫がたくさんの愛情を注いで育ててくれたことは、成長するにつれて記憶に刻まれている。

 雨漏りのする長屋暮らしだったが、家の外の七輪で炊いたご飯をぬか漬けと食べるのが大好きな子供だった。

 当時、通っていたのは歴史学者・石野あきらが横浜に設立した武相学園の小学校。孫の石野雅子さん(73)によると、「国籍で差別するのはおかしい」と、中華街出身の子供たちも積極的に受け入れていたという。マリアンヌさんはいじめられることもなく、楽しく過ごしていた。

 「折れそうなくらい細かったのに、防空ごう跡に入って一緒に探検ごっこをしたり、山を駆けずり回ったり。とにかくわんぱくでした」。幼稚園と小学校の同級生だった古沢洋子さん(71)は懐かしむ。

 日本人の養父母のもとで、日本の暮らしになじんだ日々。自分に日本の国籍がなく、スウェーデン人とみなされることになるなど、幼いマリアンヌさんは知る由もなかった。

 「マリアンヌちゃん裁判」の見出しが読売新聞に載ったのは、1956年3月。母の出身国・スウェーデンが同国の法律に基づいて引き渡しを求める訴訟を起こし、「国際孤児」となっていた6歳の少女・マリアンヌさんの存在に世間が気づいた。

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1977264 0 社会 2021/04/11 05:00:00 2021/04/11 10:35:10 2021/04/11 10:35:10 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210411-OYT1I50017-T.jpg?type=thumbnail

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