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抗議の「3本指」掲げた元ミャンマー代表、批判の声に「ごめんなさい」…「いつか帰るため」難民に

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 指を2本立てればピースサインになる。では3本指では? 今年5月のサッカー日本代表対ミャンマーの一戦で、元ミャンマー代表のピエ・リヤン・アウン(25)は3本指を掲げた。母国で直前に起きた国軍によるクーデターへの抗議の意思表示だった。帰国できなくなった彼は今、「難民」となり、サッカー・J3のチームで練習をしながら日々を暮らしている。来日して約3か月、その困難を語った。(読売新聞オンライン・谷中昭文、敬称略)

亡命「後悔していない」が……

YSCC横浜で取材に応じるピエ・リヤン・アウン(1日、横浜市内で)
YSCC横浜で取材に応じるピエ・リヤン・アウン(1日、横浜市内で)

 「ミャンマーは平和にならない。(亡命したことを)後悔はしていない」

 アウンは、練習生として所属するJ3・YSCC横浜(横浜市)の事務所でそう語った。

 5月28日に千葉市で行われたワールドカップ(W杯)アジア2次予選での日本戦。「世界にミャンマーの現状を知ってもらいたい」と来日前からパフォーマンスをすることは決めていた。ただ、思った以上に世界中で大きく報道された。軍から弾圧されることを危惧した国内の支援者から「帰らないほうがいい」と忠告を受け、日本に残ると決意した。難民申請は異例の2か月で認められた。

 「帰国したら捕まるか逃げるかすれば家族の心配はいらない」。当初はそうタカをくくっていたが、帰国を諦めたことで状況は変わった。関西空港で帰国を拒否したことが知れ渡ると、軍はサッカー関係者に連絡して実家の住所を割り出した。すぐに実家は周りを軍関係者によって包囲されたという。

 現在は新型コロナウイルスの感染拡大で外出することが難しく、軍の監視も緩んでいるようだ。それでも心配は募る。家族とはSNSのメッセージ機能を使って連絡を取っていて、父親は「家族のことは心配しないで。頑張って」とエールを送ってくれた。恐怖心と郷愁とが入り交じる。帰国は「ミャンマーが平和になった時なら……」。まだ先は見えない。

「即席コンビ」で暮らす日本での生活

 今は、横浜市内で2DKのアパートにミャンマー人の友人と暮らしている。日本の支援者を通じて出会った「即席コンビ」だが、日本語が分からないアウンを精いっぱいサポートしてくれる。

 難民としての日本での生活は、当然ながらミャンマーでの生活と全く違う。プラスチックごみは月曜日、燃やせるごみは火曜日といった分別ルールは厳しく、食事の前の「いただきます」という習慣にも失礼がないように気をつかう。ただ、電車は時間通りに来るし、生活は便利になった。今は必死に順応しようとしているところだ。

 今まではサッカーが「仕事」だった。だが、難民申請後に「サッカーを続けられる環境を提供したい」と受け入れを申し出てくれたYSCC横浜では、給料が出ない練習生という立場だ。「日本とミャンマーのサッカーのレベルは違う。日本で選手になることは難しい」と自分の立場は冷静に見ている。

 今はチームを通じて仕事を探しながら、週6日の練習の後に日本語の勉強をしている。

少年サッカーチームの子どもたちとサッカーを楽しむピエ・リヤン・アウン(6月27日、大阪府内で)=川崎公太撮影
少年サッカーチームの子どもたちとサッカーを楽しむピエ・リヤン・アウン(6月27日、大阪府内で)=川崎公太撮影

 それでも「サッカーができるだけで幸せ」だと語る。日本でサッカーをするなんて考えたこともなかったが、帰国できない状況の中でチャンスをもらった。最近はフットサルの練習にも参加しており、「日本の技術を学びたい」。サッカーをしているときは、苦しい生活を忘れられる。

難民申請に「ごめんなさい」

 ミャンマーの人権団体「政治犯支援協会」によると、国軍の弾圧による市民の犠牲者は8月中旬現在、1000人を超えた。その犠牲者の多くは、国軍への抗議デモの中心となっている、アウンと同世代の若者たちだ。日々苛烈さを増す母国の状況と比べれば、日本では「命の安全」を感じることができる。日本では「デモに参加した人が1週間後に遺体で帰ってくるようなこともない」と胸をなで下ろす。

 8月8日に閉幕した東京オリンピックでは、ベラルーシ人選手が亡命の意思を表明したほか、開幕直前にはウガンダ人選手が失踪するなどした。

 アウンが難民に認定されたことが報じられると、インターネット上では「税金を返せ」「指を3本立てただけで難民になれるの?」といった声がSNSなどで上がった。だが、今の暮らしは日本人の支援者から食べ物や家賃を補助してもらうことで成り立っているし、新しい仕事を探すため、日本語を必死に勉強している最中だ。難民として日本に滞在できるのは「原則5年」で、いつまでも同じ生活を送るわけにいかない。本当は、家族が待つミャンマーに今すぐにでも帰りたい気持ちがある。「ずっと日本に住みたいから申請したわけではない。日本は平和だから。ずっと住むわけじゃない。いつかミャンマーに帰るために避難した」と話し、何度も「ごめんなさい」と繰り返した。

 難民に対する日本国内のこうした冷ややかな声について、難民申請者の支援を行っている難民支援協会(JAR)広報部の伏見和子は「(日本人は)世界の遠いところの出来事だと感じているように思う」と話す。「緊迫した状況が日常的に続いている国はたくさんある。危険な母国から逃れる権利、命を守る権利は誰にでも保障されるもののはずだ」と話した。

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