読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

中国戦線で死亡したメダリスト、我が子思う最前線からの手紙…ユーチューブで伝える「生涯」

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 1932年ロサンゼルス五輪の男子ホッケーで銀メダルを獲得した後、中国戦線で死亡した柴田勝見さん(1909~42年)の生涯を伝える朗読劇が、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開されている。メダリストとしての活躍や、戦地で我が子を思う父親の素顔を紹介。制作した同窓生の団体は「動画を通じて、スポーツを楽しみ、家族が共に過ごせる平和の大切さを考えてほしい」と呼びかけている。(戸田貴也)

柴田勝見さんが中国から家族に送ったはがき。「オナカヲコワサナイヨウニ」と長女の体調を気遣っていた
柴田勝見さんが中国から家族に送ったはがき。「オナカヲコワサナイヨウニ」と長女の体調を気遣っていた

 〈今は東京も暑いでしょう。お父さんのいる所も大変な暑さです。暑いからといって水や冷たいものを食べ過ぎて、おなかをこわさないように気をつけてください〉

 動画では、柴田さんが42年の夏頃、中国山東省の最前線から長女に宛てたはがきが登場する。

 長女はその春に小学校に入学したばかり。1年生でも読めるように、すべてカタカナで書かれていた。

柴田勝見さん=一橋いしぶみの会提供
柴田勝見さん=一橋いしぶみの会提供

 2度目の召集だった柴田さんは当時、陸軍の「歩兵第54旅団」に所属していた。残された日記によると、「衛兵」として部隊の警備や上官の警護などを担っていたとみられる。

 〈作戦中襲撃され、将校1名、下士官2名、兵8名戦死すとの公報あり。無事な中に早く帰りたい〉

 7月11日には家族との再会を待ち望む心境を日記に記していたが、その願いはかなわなかった。

 〈戦死〉。日記は8月8日の欄にそうつづられ、途絶えた。右胸に銃弾を受け、32歳で命を落とした柴田さん。日記の筆跡は柴田さんとは別で、誰が書いたかは今も分かっていない。

柴田さんが選ばれた1932年ロサンゼルス五輪・男子ホッケー日本代表=日本ホッケー協会提供
柴田さんが選ばれた1932年ロサンゼルス五輪・男子ホッケー日本代表=日本ホッケー協会提供

 愛知県出身の柴田さんは26年に東京商科大(現在の一橋大)に入り、翌年正式に発足したホッケー部で活躍。30年の全日本選手権を制し、卒業した年の夏に開かれたロス五輪で日本代表に選ばれた。

 初戦で強豪インドに敗れ、迎えた米国との第2試合。柴田さんは、中盤の選手としてスタメン出場した。

 〈インド戦とは見違える程のスティックワークを見せ、日本のワンサイドゲームとなって快勝した〉

 32年8月10日の読売新聞は、熱戦の様子をそう報じている。男子ホッケーの出場国は世界恐慌の影響で3か国のみだったが、開催国を9対2で破った日本は2位となり、団体競技で初めてとなるメダルを獲得した。

 動画は、こうした柴田さんの活躍とともに、メダリストの夫を失った妻の静江さんの悲しみも描く。

 オリンピックの選手なんだから、そんな弾、よけられなかったのかね……。周囲にそう漏らしたという静江さんもまもなく、体調を崩してこの世を去った。

 

残り:736文字/全文:2161文字
読者会員限定記事です
新規登録ですぐ読む(読売新聞ご購読の方)
無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2374693 0 社会 2021/09/17 15:00:00 2021/09/17 15:00:00 2021/09/17 15:00:00 柴田勝見さんが中国から家族に送った手紙。「オナカヲコワサナイデ」で長女の体調を気遣っている(7月26日) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/09/20210917-OYT1I50090-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)