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同区にはかつて、日本一の産油量を誇った新津油田があった。古くから原油は臭い水という意味で「くそうず」と呼ばれ、書物に「草水」などと記されており、現在も区内には草水町という地名が残る。
新津油田は、明治から大正期にかけて石油王と呼ばれた中野貫一らによって開発され、最盛期の1917年(大正6年)には年間12万キロ・リットルの産油量を誇った。
区内にあった旧金津村は、大正、昭和初期には石油事業で税収が多く、「金持村」と呼ばれた。だが大正以降、産油量は減少し、30年には最盛期の約5分の1に減った。
その後も新津油田では採掘が続いたが、採算が合わなくなり、96年(平成8年)に業者が完全に撤退。採油の動力源「ポンピングパワー」などが現存する「新津油田金津鉱場跡」は2018年に国史跡に登録された。一帯は「石油の里公園」として整備され、現在は観光資源として活用されている。
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地域の繁栄を支えた原油だが、近年は湧出・流出による被害がたびたび起きている。
2011年には同区鎌倉で原油が噴出、13年にも同区滝谷町の住宅地で湧出が続いた。現在、対策として水と油を分ける「分離槽」が設置されている箇所は区内に12か所あるという。
区建設課によると、今回の異常湧出の原因は、自然湧出のほか、地殻変動、過去に採掘した業者などが油井の十分な封鎖処理をしていなかったことなどが考えられるという。
市は今後、現地調査をする予定だが、池周辺は複数の私有地にまたがり、調査範囲も広大なため、原因が明確に突き止められるかは不透明という。
市の毎年の対策費の負担も大きくなっており、国などに財政支援を受けられないか相談しているが、補助金などはなく、見通しは立っていない。同課は「油の湧出状況を注視しながら、より効率的な対応を検討したい」としている。
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