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エジプトで感激、「乗り鉄」渋沢栄一の熱情…元の主君・慶喜をも動かす

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 [New門]は、旬のニュースを記者が解き明かすコーナーです。今回のテーマは「徳川慶喜」。

 渋沢栄一は、日々の通勤や国内外の訪問時に鉄道を多く利用する「乗り鉄」だった。自ら設立や経営に関わった約500社のうち、少なくとも45社を鉄道会社が占め、現在の路線網の礎を築いた。その過程では、かつての自分の主君で江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が、転居を余儀なくされることもあった。

渋沢関与の鉄道45社、山手線などの大動脈に

 1867年(慶応3年)、慶喜の弟・昭武の欧州訪問に随行してパリに向かう途中、27歳の渋沢はエジプトで初めて鉄道に乗車した。後日、こう振り返っている。「私はつくづくその便利なのに感心して、国家はかかる交通機関を持たねば発展しないと思い、欧州の物質文明の発達を羨んだ訳である」。この体験を機に日本でも鉄道網の整備が急務と考えるようになる。

 73年(明治6年)、渋沢は33歳で大蔵省を辞し、2年後に「東京鉄道」を設立する。同社は3年で解散するものの、その後も精力的に様々な鉄道会社の発起人や役員に名を連ねる。小川裕夫氏の「渋沢栄一と鉄道」(天夢人刊)によると、渋沢が関わった鉄道会社は45社に上るとされ、その路線は北海道から九州まで全国に広がる。

 45社のうち規模や路線網が最も大きい日本鉄道(現JR東日本)では、渋沢は20年以上にわたり役員や株主として経営の一角を担う。日本鉄道は上野―青森、上野―高崎、品川―赤羽など関東や東北を中心に路線を開設し、それらは現在も東北線や高崎線、山手線といった主要路線として存続している。

慶喜邸跡「騒音を嫌って転居」の碑

 日本鉄道を巡ってこんな逸話が残る。同社の豊島線(池袋―田端=現山手線の一部、1903年開業)は、巣鴨にある慶喜の屋敷前に路線を敷き、停車場(=駅)も設置することになった。慶喜は開業の1年半前に約2キロ・メートル離れた小石川に転居してしまう。現在、JR巣鴨駅前の慶喜邸跡に立つ碑にはこう記されている。「(転居は)すぐ脇を鉄道が通ることが決まり、その騒音を嫌ってのこととされている」

 当時、石炭で動く蒸気機関車は多くの煙と音を出し、停車場には人が集まった。「その後の慶喜」(筑摩書房)の著書がある大阪経済大学の家近良樹・名誉教授は、「音に対する感覚は、当時と現代では驚くほど異なる。静寂の暮らしに慣れた慶喜には耐えられなかった」と指摘する。

 慶喜はその13年前にも似たような形で転居を経験している。将軍退位後の20年弱、隠居生活の場としてきた静岡の屋敷が、東海道線延伸で開設される静岡駅の目の前になったためだ。

1903年の本紙「慶喜公 汽車に逐はる」

 「徳川慶喜公 汽車に はる」。1903年(明治36年)5月2日付の読売新聞は、こんな見出しで2度の転居を報じた。記事は、かつて全国300もの大名に号令する立場だった前将軍が「今は汽車に おは (=追わ)れて うしろ を見せる こころうち如何いか にぞや」と、その心中を想像している。

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