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「あの日は雨でね…みんな戦地で死ぬんだから」学徒出陣、壮行会の会場だった国立競技場の地

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 今夏の東京五輪・パラリンピックのメイン会場となった国立競技場(東京都新宿区)。その地は先の戦争で、戦場に向かう学生を見送る「出陣学徒壮行会」の舞台にもなった。「平和の祭典を開催できるような世の中が、いつまでも続いてほしい」。そう願う元学徒や遺族らは21日、新たなスタジアムが完成してから初めて、現地で戦没学徒らの追悼式を行う。(戸田貴也)

出陣学徒壮行会の思い出などを語る鈴木孝さん(15日、東京都足立区で)
出陣学徒壮行会の思い出などを語る鈴木孝さん(15日、東京都足立区で)

 「あの日は雨でね。みんな戦地で死ぬんだから、涙雨だと思ったよ」。日本大で政治学を専攻していた鈴木孝さん(98)は、1943年の10月21日を鮮明に覚えている。

明治神宮外苑競技場で行われた出陣学徒壮行会。雨の中、銃を持った学徒らが行進した(1943年10月21日)
明治神宮外苑競技場で行われた出陣学徒壮行会。雨の中、銃を持った学徒らが行進した(1943年10月21日)

 会場は、「東洋一の本格的陸上競技場」として大正時代に完成した明治神宮外苑競技場。集まった学生は約2万5000人に上った。詰め襟の学生服に学生帽姿の鈴木さんは、肩に重さ約4キロの「三八式歩兵銃」を担いで陸上トラックを行進した。一歩踏みしめるごとに、ダッ、ダッ、ダッ、と足音がこだました。

 太平洋戦争が始まってから、まもなく2年。大学には陸軍将校が教官として派遣され、「軍事教練」が必須科目となっていた。銃を手にほふく前進を繰り返し、銃剣術も習った。壮行会の約2週間前には文系学生の徴兵猶予も廃止されていた。

 式典では、東条英機首相の訓示に対し、学生代表が「学徒出陣の勅令、公布せらる。 生等せいら もとより生還を期せず」と述べた。命をなげうつ覚悟を示した答辞に、鈴木さんは「戦地に行く決意が固まった」と振り返る。

 海軍に入隊した鈴木さんは、終戦まで筑波海軍航空隊(茨城県笠間市)などに所属。飛行機で敵の艦船に体当たりする「特攻」に向かう仲間を見送った。「指示があれば、自分が突っ込んでいた。戦死は怖くない、そんな時代だった」。だが、残された遺族の悲しみを思うと、今でも胸が張り裂けそうになるという。

 明治神宮外苑競技場は戦後、国立競技場に生まれ変わり、2019年11月には新スタジアムが完成。外周路に立つ高さ約3メートルの学徒の追悼記念碑には、「学業半ばにして陸に海に空に、 って かえ らなかった友の胸中を思い、永遠の平和を祈念する」と刻まれている。

 

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2446419 0 社会 2021/10/15 15:46:00 2021/10/15 15:58:45 2021/10/15 15:58:45 雨の中、明治神宮外苑競技場で開催された壮行会。学生たちが学業の志を半ばに戦場に向かった学徒出陣から70年。出陣を見送る壮行会が行われた東京・国立競技場で21日、追悼会が開かれる。学徒出陣で亡くなった人を追悼する記念碑が移転を迫られている。2020年東京五輪・パラリンピックの開催に合わせて、記念碑のある国立競技場が建て替えられるためだが、「若い世代に史実を伝え続けるためにも、碑を残してほしい」と元学徒らは願っている。1943年10月21日撮影。2013年10月19日夕刊(「学徒の無念 忘れない」 帰還の90歳ら 思いつづった会報発行)掲載。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/10/20211015-OYT1I50063-T.jpg?type=thumbnail

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