小学生の写生さえ禁止された「淡路橋立」、天橋立にも引け取らない絶景なのに知名度は今ひとつ

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 天橋立(京都府宮津市)に似た絶景が、兵庫県淡路島にある。洲本市由良沖の無人島「成ヶ島」だ。約3キロにわたって南北に延びる砂州の美しさは、日本三景に数えられる“本家”にも引けを取らない。それなのに、島内でも知名度は今ひとつ。背景には、交通の不便さだけではない理由があった。(山口博康)

海にうねる

成山から南に向かい、「淡路橋立」の眺望を楽しむ人たち(洲本市で)
成山から南に向かい、「淡路橋立」の眺望を楽しむ人たち(洲本市で)

 市の南東にある県道沿いの桟橋から、市営の「成ヶ島渡船」が発着する。船に揺られて、2分ほど。地元で「向かい」などと呼ばれる砂州に着いた。

 高い所から見ようと、その北端にある「成山」に登った。砂州とともに、島を形成する標高50メートルほどの山だ。頂付近にある展望台からは、海面にうねるような砂州の全景が一望できた。

 潮流で打ち寄せられた砂によって生み出された自然の造形美は、「淡路橋立」の名も持つ。規模は「股のぞき」で昇竜に見える天橋立と遜色ないが、最も細い部分は半分以下の幅15メートルで、よりしなやかに映る。

写生さえ禁止

 天橋立は室町時代の画僧、雪舟が描いた国宝「天橋立図」でも全国的に名高い。一方、淡路橋立は戦前、小学生が写生をすることさえ禁じられたという。

砂州(後方)を示しながら、「成ヶ島の魅力を伝えたい」と話す花野さん(洲本市で)
砂州(後方)を示しながら、「成ヶ島の魅力を伝えたい」と話す花野さん(洲本市で)

 「ここは軍事拠点。シークレットエリアだったんです」。そう明かすのは、地元住民らでつくる「国立公園成ヶ島を美しくする会」の会長を務める花野晃一さん(77)だ。

 淡路橋立は紀淡海峡の最も狭い部分に当たり、古くから国防、海上交通の要衝だった。紀伊半島から四国へと続く「南海道」で、淡路島の入り口が由良だ。かつて砂州は陸続きで、開いていた中央付近から船が出入りしたという。

 1613年に築かれた成山城が一時、淡路島統治の中心になる。1700年代後半から1800年代前半は、大型船が入港できるよう南北の付け根部分が開削された。砂がたまりやすかった中央の旧湾口は消え、「バリアー島(沿岸州)」という現在の地形になる。

淡路橋立の南にある公園に残る砲身(洲本市で)
淡路橋立の南にある公園に残る砲身(洲本市で)

 軍事拠点としての重要性が高まったのは、江戸末期の黒船来航後だという。大阪湾防衛のため、幕府の命令で成ヶ島に砲台が造られた。明治に入ると砲台は成山にも整備され、紀淡海峡から鳴門海峡までを管轄する「由良 要塞ようさい 」の司令部が港側に置かれた。

 写真撮影はもちろん、風景画を描くことも許されなくなったのは、軍事機密を守るためだった。

残された宝

 終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に軍の施設は破壊された。成ヶ島を訪れる人は増えた。日展の理事長も務めた洋画家、辻 ひさし は「内海初冬(淡路橋立)」という作品を描く。これを機に1961年、「淡路橋立」の碑が建てられた。

 翌62年からは、四半世紀にわたって市営の国民宿舎「成山荘」が営業し、海水浴やキャンプの客が来た。その後はレジャー志向の変化などでにぎわいは消え、成山荘の廃業後は無人島になり、渡船もなくなった。

干潟にはハクセンシオマネキも生息する(洲本市で)
干潟にはハクセンシオマネキも生息する(洲本市で)

 「それで良かったのかもしれない」と花野さん。島は瀬戸内海国立公園に指定されている。美しくする会の清掃活動なども実り、希少種を含む約300種類の植物、500種類以上の海岸動物が生息する。内海の干潟には絶滅危惧2類のハクセンシオマネキが遊び、外海に面した砂浜でウミガメが産卵することもある。

 「囲いのないミュージアム」。花野さんは、成ヶ島をそう呼ぶ。歴史の深さ、自然の豊かさは今、かけがえのない宝となっている。

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2557310 0 社会 2021/11/29 17:29:00 2021/11/30 21:21:09 2021/11/30 21:21:09 淡路橋立と呼ばれる成ヶ島の眺望(洲本市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/11/20211128-OYT1I50106-T.jpg?type=thumbnail

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