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「ニイタカヤマノボレ」電文中継、「日に日に崩れていく」国境のまちの通信施設

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通信所のB棟(手前)(5日、北海道稚内市で)=松本拓也撮影
通信所のB棟(手前)(5日、北海道稚内市で)=松本拓也撮影

 「ニイタカヤマノボレ」。80年前、米ハワイ・真珠湾への攻撃を命じる暗号電文を中継したとされる旧海軍の通信施設が、北の国境のまちに残っている。北海道稚内市の通称「稚内赤れんが通信所」だ。長年の風雪で屋根が崩落するなど深刻な老朽化が進む中、戦争遺跡として後世に残そうと、地元のボランティアが保全活動を続けている。(北海道支社 中尾敏宏)

稚内の住民「後世へ」修復

 宗谷岬から内陸に約20キロ。雑木林の中に突然、レンガ造りの巨大な建物3棟が見えてくる。

 最も大きいA棟(875平方メートル)は、崩落の恐れがあり中には入れない。屋根から望楼が突き出すB棟(475平方メートル)にはストーブや風呂場の痕跡が残る。窓ガラスが割れ、屋根の骨組みは、むき出しだ。

「稚内赤れんが通信所」で平和への思いを語り継ぐ熊田要二さん(5日、北海道稚内市で)=松本拓也撮影
「稚内赤れんが通信所」で平和への思いを語り継ぐ熊田要二さん(5日、北海道稚内市で)=松本拓也撮影

 「日に日に崩れていく」。管理する市民団体「稚内市歴史・まち研究会」の副会長熊田要二さん(80)は散乱したがれきに目を向けた。

 市教育委員会などによると、施設は1931年に旧海軍大湊通信隊の稚内分遣隊幕別送信所として開設された。無線傍受などを担う北方防衛の拠点だった。

 41年の真珠湾攻撃を命じた大本営の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」。戦後、元軍人の証言などにより、この送信所からも北方領土の 択捉えとろふ 島の 単冠ひとかっぷ 湾を出発した部隊に中継したことが明らかになった。

 62年まで米軍が駐留した後は日本政府の所管になったが、強風や大雪にさらされ、建物に亀裂が走るなど老朽化が進んだ。解体の意向を示した政府に対し、市は歴史的な価値を考慮して2006年に土地と建物を取得。1億円以上もの修復費などが課題となった。

 市から管理を委嘱された同会は、寄付を頼りに修復を進めてきた。最も小さいC棟(69平方メートル)を地元有志の協力で08年に復元し、B棟も寄付金を基に19年から、屋根で一部を覆うなどの修復を施した。しかし、A棟は手つかずのままだ。

 熊田さんは開戦の年にあたる1941年にサハリン(樺太)で生まれ、戦後、幼くして稚内に引き揚げた。戦争の記憶はないが、「建物を残すことが戦争を語り継ぐことになる」と語る。

 開戦80年を迎える8日は施設に灯籠を飾り、地域住民を集めて平和を祈る。熊田さんは「最北端のまちも開戦に関わっていたという歴史を後世に伝えたい。戦争は二度とあってはならない」とし、保存のための支援を全国に呼びかけていく考えだ。

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使い方
2573001 0 社会 2021/12/06 05:00:00 2021/12/06 07:12:35 2021/12/06 07:12:35 老朽化が進む「稚内赤れんが通信所」で平和への思いを語り継ぐ熊田要二さん(5日午前10時23分、稚内市で)=松本拓也撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/12/20211206-OYT1I50008-T.jpg?type=thumbnail

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