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新聞の号外に激しい見出しが躍ったのは、1935年(昭和10年)6月のことだ。
「
「“泥海地獄”出現す」

その日、京都の上空には梅雨前線がとどまり、時間雨量40ミリ前後の「バケツをひっくり返したような雨」が断続的に続いた。24時間雨量は270ミリ。前年の室戸台風で山が荒れていたこともあり、流木が次々に押し寄せ、鴨川はあふれた。
この大洪水で、鴨川や高野川にかかる41橋のうち32橋が流失・大破。死者12人、浸水家屋2万4000棟という、京都の災害史に残る大惨事となった。
暴れ川・鴨川を治めるため、人々は古くから心を砕いてきた。平安時代には「
冒頭の大洪水を機に、近代の治水は進んだ。川底は2~3メートル掘り下げられ、川沿いを走っていた京阪電鉄の地下化が実現したことで、川幅も広げられた。ただ、どこまでいっても「万全」はなく、工事は現在進行形だ。
現代の防鴨河使ともいえる京都府河川課の担当者が「治水と景観のバランスをどう取るかが重要だ」と話すように、関係者は「鴨川ならではの難しさがある」と口をそろえる。確かに、壁のような堤防を建てれば、氾濫のリスクは減るだろう。一方で、歴史ある街を分断することになってしまう。
府は2018年、新たな浸水想定区域図を公表した。近年、全国で水害が多発していることもあり、24時間雨量を「1000年に一度」レベルの736ミリと想定。現実になれば、三条や四条河原町の繁華街は2~3メートル以上、JR京都駅も1メートル以上浸水することになる。
京都市防災危機管理室は「鴨川沿いには繁華街の地下もあり、危険だ。住む場所や建物の高さに応じた避難行動を、日頃から考えておいてほしい」と訴える。
普段は穏やかな鴨川には、もう一つの顔がある。それをしっかり見据えることで、助かる命がある。
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近年、府内でもたびたび水害が起きている。2012年8月には、宇治市で死者2人を出した府南部豪雨が発生。桂川などが氾濫し、嵐山の渡月橋が損壊した13年9月の台風18号や、福知山市の市街地が冠水した14年8月豪雨も、大きな被害をもたらした。昨年8月には鴨川が濁流となるほどの大雨が降るなど、異常な降雨が増えている。