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2011年に5人が死亡した焼き肉チェーンの「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件は27日、発覚から11年を迎えた。事件の捜査は、富山地検が運営会社元社長ら2人を不起訴として終結。妻(当時43歳)と義母(同70歳)を失った富山県砺波市の小西政弘さん(59)は、やるせない気持ちの中、証拠として保管されていた血液の処分を見届けた。


「これで女房とお袋の体の一部がすべて消えるんだな」。昨年12月15日、小西さんは砺波署の一室で手を合わせ、心の中でつぶやいた。目の前にある透明な袋に入っていたのは、真っ赤な血液。2人が食中毒の原因菌に汚染されたことを示す証拠だ。
11年4月23日、小西さん家族5人は砺波店を訪れ、全員がユッケを食べた。妻は11日後、義母はその翌日にそれぞれ食中毒で亡くなった。
血液は富山地検に「捜査が終わるまでは処分しないでほしい」と要望していたが、20年10月、そのときを迎えた。「証拠品の血液はどうなってしまうのだろう」。思いを巡らしていたときに、地検から連絡が来た。
血液を前に数珠を持って手を合わせ、サインした同意書類を地検職員に渡した。最後の“対面”時間はほんの5分ほど。「事件で残されたものが一つ一つ終わっていく」と感じた。
事件以降、運営会社長らの刑事責任の追及に時間を費やしてきた。「10年間、笑うことはあっても心の底から幸せなことはなかった」。証拠品の処分で、さみしさが一段とこみ上げた。「一生一緒にいたかった。ちょっとでいいからもう一度会いたい」との思いは11年たっても変わらない。
今年4月の自らの誕生日に、食中毒で重症になった長女、長男とケーキを持って記念撮影した。自然と笑顔になれていた。「大人になっても3人がそろってうれしかった」。2人は現在も年数回の検査を続けているが、そろって社会人になり、少しずつ気持ちが落ち着いていくのを感じた。
証拠品の処分前後、長女から「何か自分のために時間を使ったら」と声をかけられ、ボランティア活動への興味が湧いている。「自分のように世の中には苦しんでいる人がたくさんいる。人生の先が見えてきた年になったので、力仕事でも何でもいいから、私のできる範囲で役に立ちたい」(小川朝煕)
息子の同級生 今も交流

小矢部市の久保秀智さん(59)は、次男の大貴君(当時14歳)の1日遅れの誕生日祝いに店を訪れた。ユッケを食べた大貴君は溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症。闘病の末、11年10月に亡くなった。
大貴君が生きていれば、今年の誕生日で25歳になるはずだった。今年も誕生日当日の21日、妻とケーキを食べた。「大貴の成長を見ることはできないけれど、常に思っている」と話す。
今でも、同級生は家を訪ねてくれる。市内では、社会人になった同級生を見ることも増えた。将来の夢がサッカー選手だった大貴君。遺影を見つめると「同じように成長していたらどんな大人になって、どんな仕事をしていただろう」との思いが湧いてくる。
「この11年は何だったのか」とつらくなるときもあるが、長男が結婚して生まれた3人の孫の成長が心の支えだ。「運命は背負って前に進むしかない。孫の成長を見ると、生きていこうと思う」と話す。
事件後、生食用の牛レバーは販売禁止となったが、不安は尽きない。「この世界にはまだ私たちが知らない菌がある。気をつけても足りないくらいに気をつける。業者には、その積み重ねで安全が成り立つということを心にとどめてほしい」と語気を強めた。(柏木万里)