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記念式典で20歳学生

政府と沖縄県が開いた沖縄復帰50周年記念式典では、那覇市出身の学生団体共同代表・
平敷さんは、国際基督教大学(東京)の2年生。新型コロナウイルスの感染拡大が始まった頃、一斉休校で「命綱」の給食も取れなくなった困窮世帯の子どもたちがいることを母から聞いた。高校3年生だった2020年5月、学生ボランティア団体「VONS」を友人と設立。度々帰省して県内の商業施設の一角を借り、余った食料品の提供を呼びかけ、福祉団体などに寄付する活動を続けている。
大学で出会った本土の友人には戦後の沖縄の歩みを知らない人も多い。「50年の節目に南国のイメージだけではない側面も知ってほしい」と大役を引き受けた。
「沖縄では日々の食べ物に困る子もいます。そんな子ども
ドル札を使っていた米統治下は、平敷さんには「遠い昔のよう」に感じる。しかし、50年を経ても本土と所得などの格差は残る。こうした社会事情が貧困の連鎖の背景にあると考える。
落ち着いた声であいさつを終え、「沖縄の課題について今後も学び続け、50年後に沖縄を引っ張っていける人材の育成にも携わりたい」と決意を語った。
一方、県民代表のあいさつは公益財団法人「対馬丸記念会」代表理事の高良政勝さん(82)が務め、先の大戦で沖縄から本土へ向かう学童疎開船が敵艦の攻撃を受けて沈没し、多くの犠牲者を出した悲劇などに触れた。
「私たちが望んだ沖縄県はまだ道半ばの感があります」
式典後、高良さんは「基地のない沖縄が理想。若い人の力でもっと平和な島にしてほしい」と希望を託した。
「基地解決を」「魅力伝える」 県外在住者
記念式典は沖縄と東京で同時開催され、東京では各地の沖縄県人会代表らゆかりの人が出席した。
「改めて、古里への思いが強くなった」。川崎市の川崎沖縄県人会会長の金城宏淳さん(72)は式典後、こう話した。
金城さんは沖縄県糸満市出身。6歳の時に川崎へ移り、20歳を過ぎて同郷の先輩に誘われて県人会に入り、伝統芸能「エイサー」の練習に打ち込んだ。その後、沖縄からの集団就職者を激励しようと
金城さんは「米軍基地問題など多くの課題を抱えているが、早く解決してほしいと願っている」と語った。
東京沖縄県人会会長の仲松健雄さん(70)は「沖縄のことを多くの人に一緒に考えてもらいたい」と力を込めた。
高校まで那覇市で過ごした仲松さんは1970年に上京したが、沖縄出身であることを積極的に語らずに暮らしてきた。48歳の時、出身高OBの男性から「そろそろ沖縄に貢献しては」と言われたことをきっかけに、「沖縄のために活動しよう」と決めた。
今月8日には東京で、復帰50年を祝う「沖縄芸能フェスティバル2022」も開催。仲松さんは「今後も沖縄の魅力を伝え、大勢の人に興味を持ってもらえるようにしたい」と誓った。
