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幸村を討て

  • 幸村を討て 第51回 今村翔吾

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     家康は一人黙考した。仮に源四郎が幸村という諱であれば考えられる可能性は二つだけである。一つはいかなる意味があるのかは知らぬが、信繁が死んだ兄の諱に変えたということ。あと一つは大坂城に籠っているのは幼くして消えたはずの、…
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  • 幸村を討て 第50回 今村翔吾

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     信綱の母は河原隆正(かわらたかまさ)の妹で正室、昌輝の母は飯富虎昌(おぶとらまさ)の娘で側室らしい。ちなみに続く昌幸、信尹共に正室の子であるという。信尹は噛み締めるようにゆっくりと続けた。 「二人の兄に憚ったのでしょう…
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  • 幸村を討て 第49回 今村翔吾

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     下手人は武田家の女中であることが判っている。その女は二度の流産をした後、ようやく子どもに恵まれた。しかしその子も幼くして病で亡くしてしまったのだという。憔悴(しょうすい)し切っていたところ、その噂を聞きつけた信玄が、…
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  • 幸村を討て 第48回 今村翔吾

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     「その時に御屋形様が」 「信玄公か」 生涯逢うことがなかった憧憬の将である。その日常を共に生きた信尹を初めて羨ましいと思った。 信玄がひょいと姿を見せたので、皆は平伏するのも忘れて唖然となった。そんな中、信玄はまじまじ…
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  • 幸村を討て 第47回 今村翔吾

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     「ただ随分と面構えが変わっておりました。面影はあるのですが……」 信尹が最後に会ったのは関ケ原の戦い前夜の十六年前。人の容姿を変えるには十分な時であり、叔父から見ても即座に断言出来るほどでなかったという。 「では何故、…
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  • 幸村を討て 第46回 今村翔吾

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     「流石の信繁……いや、幸村でも大御所のご慈悲の心を感じるでしょう」 信尹は興奮気味に言い残して使者に発った。こちらの底意が見抜けていない。そのように真田一族にしては稀有なほど凡愚だから、たかだか四千石しか食めないのだ。…
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  • 幸村を討て 第45回 今村翔吾

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     家康は一人の男を陣に呼び寄せた。名を真田信尹(のぶただ)と謂い、昌幸の弟に当たる男である。信之と同様、真田家の者にしては珍しく己に従い旗本になっている。どうにか幸村の正体を探りたいと考えていた矢先、ふと信尹を帯同させて…
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  • 幸村を討て 第44回 今村翔吾

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     こちらと通じていない南条が内応の罪で切腹させられ、翌日にはその南条が裏切ったと前田軍に偽伝令が走る。しかも城内で爆発を起こして信憑性を高めた節まである。さらにそこで終わることなく、落首でこちらに南条の切腹を知らせる。何…
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  • 幸村を討て 第43回 今村翔吾

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     今回、寝返るとされたのは南条元忠と謂う武将である。元は伯耆(ほうき)の国人の家の出で、秀吉が毛利家と和睦した後に六万石と羽衣石(うえし)城を安堵されて大名に列した。しかし、関ケ原の戦いで西軍についたことで改易処分を受け…
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  • 幸村を討て 第42回 今村翔吾

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     利常は困惑しながら答えた。言い訳をほざいているのだと思ったが、詳しく聞くと嘘は言っていないらしい。篠山を占拠した直後、伍の旗指物を掲げた伝令が駆け込んできて、 ――平野橋口の南条元忠(なんじょうもとただ)が内応するとの…
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  • 幸村を討て 第41回 今村翔吾

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     一度攻めかかってしまうと、追撃される恐れがあるため、退却に際しても細心の注意を払わねばならない。だがこの爆音で城内は混乱を来(きた)すことが予想され、引き上げる絶好の機が訪れたことになる。 「何故だ……」 家康は目を凝…
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  • 幸村を討て 第40回 今村翔吾

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     大坂城に寄せるまで大小の戦いがあったが、大軍を擁するこちらの敵では無かった。数日のうちに砦は全て陥落させ、大坂城を完全に取り囲んだのは十一月三十日のことであった。 「決して焦らずじっくりと攻めよ」 家康は全軍にそのよう…
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  • 幸村を討て 第39回 今村翔吾

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     幾ら無名とはいえ幸村と改めて名乗るより、信繁の名のほうが通っているのは間違いない。しかもこれは推測の域を出ないが、恐らくは父の昌幸から与えられた名であろう。それをこの檜舞台で捨てるのはどうも腑に落ちない。 ――端から信…
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  • 幸村を討て 第38回 今村翔吾

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     「すでに問い合わせて返答も得ています。豊臣の人質時代の信繁を知る者です。その者が申すには若い頃と相貌が重ならぬとか……」 まず若かりし頃の信繁は背に鋼の芯が入っているように姿勢が良く、躰も鍛え抜かれて引き締まっていたと…
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  • 幸村を討て 第37回 今村翔吾

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     「まだ何かあるのか?」 家康は倦厭(けんえん)しながら尋ねた。 「大したことではございませんが二つほど。まず平野橋口の出城は、誰が言い出したか真田丸などとすでに名が付いているようです」 「真田丸か」 真田が小勢で徳川を…
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  • 幸村を討て 第36回 今村翔吾

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     「各々方、ちと様子が変わったようだ。大坂方は平野橋口に小さな出城を設けたらしい」 ざわめく衆を手で制し、家康は広い額をひたひたと叩きながら続けた。 「今の話、かつて儂が太閤殿下に進言したことをすっかり失念していた。それ…
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  • 幸村を討て 第35回 今村翔吾

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     これに気付くのは百戦錬磨の己だけという自負がある。諸将から感嘆の声が上がり、家康は満足して二度、三度頷いてみせた。 「上様」 すぐ横に侍っていた正信が囁くように呼んだ。 「どうした」 家康が眉を顰(ひそ)めると、正信は…
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  • 幸村を討て 第34回 今村翔吾

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     三十二年前、信長の横死後に取り零した天下の夢が、もうすぐそこまで来ているのだ。家康は生涯で最後になるであろう戦を前に、躰に気力が充実していくのを感じていた。 慶長十九年(一六一四)の十月十一日、家康は自ら軍勢の指揮を執…
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  • 幸村を討て 第33回 今村翔吾

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     大坂城の実権は秀頼ではなく、この淀殿が握っているとみてよい。今後、戦術にも一々口を挟んでくることが予想され、浪人衆はまともに活躍出来ないと正信は踏んでいるのだ。 「そう言えば、例の左衛門佐も入城しました」 「左衛門佐?…
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  • 幸村を討て 第32回 今村翔吾

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     やがて豊臣家もこちらの姿勢を見て、もはや開戦は避けられぬと考えたようで、各地から浪人を集め始めた。主だった者を挙げるとすると、土佐二十二万石を領した元大名の長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)、黒田家の重臣であった後藤…
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