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羽生、最後まで被災地忘れず…恩返しの「金」

花束を手にスタンドに向かって拳を突き上げる羽生選手(14日)=高橋はるか撮影

 【ソチ=永井順子、増田知基】19歳のエースが世界の頂点に立った——。14日(日本時間15日)のソチ五輪フィギュアスケート男子フリーで、日本男子初の金メダルをつかんだ羽生結弦(ゆづる)選手。東日本大震災を乗り越え、ソチの大舞台で輝いた。

 「金メダリストになったこれからがスタート。復興のために出来ることがある」。最後まで被災地を忘れることはなかった。

 日本男子初の快挙にもかかわらず、記者会見場の羽生選手に笑顔はなかった。

 自らも震災で被災した。「被災者である自分がメダルを取ることで、傷ついた日本を元気づけられれば」と、これまでも公言してきた。しかし、実際に頂点に立つと、「メダリストになっただけでは、復興の手助けにならない。何も出来ていない無力感を感じた」と心境を正直に話した。

 2011年3月11日の震災発生時は、仙台市内のリンクで練習中だった。氷が波打ち、壁が壊れる中、スケート靴を履いたまま逃げた。市内の自宅も壊れ、家族4人が避難所で過ごした。

 「震災後は生活することで精いっぱい。スケートができなくて、やめようと思っていた」。声を絞り出すと、その場は金メダリストの記者会見とは思えないほど静まり返った。

 練習リンクは壊れて一時閉鎖に追い込まれ、全国のアイスショーを転戦し、練習場所を確保した。12〜13年シーズンから、練習拠点をカナダ・トロントに移した。世界で戦う力をつけたいと考えた末の苦渋の決断だったが、「本当はずっと仙台で練習したかった。震災が起きたところから離れて良かったのか」と、揺れる思いをのぞかせた。

 練習環境の良いトロントに移って、わずか2シーズンで世界の頂点に立った。「日本で、世界中で応援してくれる皆さんの思いを背負って、表彰台の真ん中に立ててうれしかった。恩返しが出来たんじゃないかと思う」。落ち着いて、そう話した羽生選手。今後も、金メダリストとして、被災地の復興に取り組んでいく。

2014年2月15日15時02分  読売新聞)

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