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読売記者が見た 五輪・パラリンピックの裏側

ワンジルの日本語…三橋信(運動部)/北京五輪(2008年)

 「日本語で、聞いてクダサーイ」。北京五輪男子マラソンの優勝記者会見。ケニアのサムエル・ワンジルがいきなり日本語で話し始め、会場は混乱に陥った。

 五輪の優勝記者会見には言語のルールがある。北京五輪当時、記者会見で使えるのは、会見する選手の母国語、開催国の言語、そして英語。それぞれの言葉に同時通訳が付き、ヘッドホンで通訳された言葉を聞くことができる。

 ワンジルのケースを当てはめると、使っていい言葉は、ケニアで使われているワンジルの母国語、開催国の中国語、そして英語。メダルを獲得できなかったので、残念ながら日本語の通訳はいない。

 高校時代を仙台で過ごし、駅伝選手として力をつけたワンジルは、日本語が流暢(りゅうちょう)だ。だが、日本の報道陣は日本語で質問できない。仙台市の放送局が、高校時代の思い出を聞こうと、たどたどしい英語で質問した。だが、ワンジルは質問の意味がよく分からなかったらしい。そして、冒頭の「日本語で聞いて…」になったわけだ。

 そこから、日本語の独演が始まった。「日本で学んだことは、ガマン。ガマンをすること」「高校時代、駅伝のために頑張ったけど、マラソンのためには、駅伝ばかりやっていてはだめ」。言葉の意味が分からない他国の記者があっけに取られるなか、独演は、20分以上続いた。終了後、ロイター通信の記者が、「あれ、何を話していたの?」と聞きに来た。日本人が勝ったわけでもないのに、なぜか誇らしく思った記憶がある。

 そんなワンジルの突然の訃報が届いたのは、金メダル獲得から3年もたたない2011年5月。五輪後、日本の実業団を退社したワンジルは、私生活でトラブルが続いていたという。ケニアの自宅のバルコニーから転落したというが、事故死なのか自殺なのか、死因は不明のままだ。享年24。

 ケニア生まれの日本育ち。都大路(京都で行われる全国高校駅伝)が育てた金メダリスト。気さくに日本語で答えてくれた好漢の、人なつっこい笑顔が忘れられない。本来、陸上担当ではないのに、「忙しいから手伝ってください」と駆り出された会見場で、貴重な瞬間に立ち会うことができた。

【アーカイブ】男子マラソン ワンジル 五輪新V

2008年8月25日付読売新聞朝刊から

2016年06月10日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun