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読売記者が見た 五輪・パラリンピックの裏側

全盲選手に導かれた伴走者…臼田雄一(運動部)/アテネパラリンピック(2004年)

 金17、銀15、銅20の合計52個と日本勢としてパラリンピック史上最多のメダルを獲得したアテネ大会。連日、好成績の選手を取材する中、心に残ったのが、全盲の陸上短距離選手の伴走者の言葉だった。メダル争いには加われなかったが、「選手のお陰で、こんな大きな大会で走ることが出来た。本当に幸せで、選手に感謝したい」。

 伴走者とは、視覚障害者とロープを握り合い、一緒にゴールを目指すガイドのこと。選手を支える裏方で、選手のコーチ役でもあることが多い。感謝の言葉は、選手から伴走者に向けられるのが普通だ。

 ただ、100、200メートルに出場した矢野繁樹を伴走した塩家吹雪は、選手に心から感謝していた。

 塩家は中学1年から本格的に陸上競技を始めた。高校を卒業した後は、より高い指導を求めて単身渡米。代表選手を輩出している強豪チームなどで武者修行し、五輪を目指した。だが、自己ベストは、100メートルで10秒89。最も得意な200メートルでも五輪には届かなかった。

 30歳を超えた塩家にとって、五輪と同じ競技場で行われるパラリンピックは、立場こそ違え、世界と戦える最高の舞台で、そこで走ることは、極めて幸せなことだった。全レース終了直後、そんな気持ちが、涙とともにあふれ出たのが冒頭の言葉だったのだ。

 全盲の選手に導かれ、世界最高の舞台を駆け抜けた伴走者。現在はNPO法人を設立し、障害者スポーツの普及に努めている。

2016年07月08日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun