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Road to リオ 決戦へ

目覚めた原石、急成長…原沢久喜(24)(日本中央競馬会)

柔道男子 100キロ超級

 柔道母国の威信が地に落ちた事実にも、特別な感情は湧いてこなかった。日本男子が史上初めて金メダルなしに終わった2012年のロンドン五輪。「人ごとのように見ていた。ましてや、自分が五輪代表になるなんて、思ってもいなかった」。テレビ画面が映し出した光景は、目立った実績のない自分にとっては別世界の出来事にも思えた。

 小さい頃に五輪を本気で夢見た記憶はない。山口県下関市に生まれ、小学1年から自宅近くの道場に通った。柔道部のない地元中学に進み、近くの早鞆はやとも高で練習に参加していたが、明確な目標はなかった。早鞆高に入った時は66キロ級。同い年の女子にも投げられるほどで、「高校を卒業したら柔道はやめよう」と思っていた。

 ところが、体が大きくなるにつれ、結果が出始めた。もともと高い方だった身長も、1メートル80を優に超えた。部員は6人ほどしかおらず、自主性が尊重された練習環境だったが、早鞆高の中村充也監督(54)は「とにかく素直で、黙々と練習をこなしていた」と、地道に鍛錬を積む姿に将来性を感じ取った。

 高校2年で出場した全国高校選手権は、90キロ級の3回戦で敗れた。しかし、日大の金野潤監督(49)には、その無名選手が印象に残った。組み手はお世辞にも上手とは言えず、次々と技をかけられていた。ただ、不思議と投げられない柔らかさがあり、何より「敗色濃厚になっても諦めない、いい目をしていた」。

 3年生で100キロ超級まで階級を上げ、全国高校総体で3位。「周りに期待されて投げ出せなくなった」。まだ覚悟を決めきれずに日大に入学したが、そこでの猛稽古が雑念を吹き飛ばした。実戦練習の乱取りは休みなく2時間以上に及び、「とにかく、練習をこなすのに必死だった」。身上の手を抜かない、ひたむきな姿勢が、潜在能力を開花させていった。

世界の重圧「乗り越える」

 転機は、13年の全日本選手権。初出場で準優勝を果たし、「強さというものに憧れ始めた。このまま終わってしまうのは、もったいないという気持ちも芽生えた」と初めて世界を意識した。昨年4月に全日本のタイトルを獲得すると、得意の内股と試合終盤でも息切れしないスタミナを武器に、国内外で連戦連勝。わずか1年で世界選手権2年連続銀のライバル七戸龍(九州電力)を抜き去り、100キロ超級代表の座をつかんだ。

 無心で駆け抜けた代表レースを終え、日の丸を背負う重みを痛感している。世界選手権の代表経験もなく、五輪本番の重圧は想像もつかない。最重量級には頂点に君臨するテディ・リネール(仏)という巨大な壁もそびえる。

 だが、リオデジャネイロ五輪が日本柔道の誇りをかけた戦いになることは十分に理解している。「怖さはある。だけど、すべてをやり切った状態で本番を迎えられたら、乗り越えられる自信がある」。4年前は夢にも思わなかった舞台を前に、遅れてきた大器が、世界に挑む腹を決めた。(平山一有)

2016年07月16日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun