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読売新聞で振り返る五輪名場面

ヘーシンクからヤワラちゃん…お家芸・柔道の舞台裏

メディア局編集部 二居隆司
 リオ・オリンピック開幕まであと5日。今大会ではどのような感動場面が繰り広げられるのだろう。日本選手団の活躍にいやがうえにも期待が盛り上がる中、選手たちへのエールの意味をこめ、過去のオリンピックの数々の名場面を読売新聞の紙面で振り返ってみた。偉大な先達たちの活躍ぶりが、今回出場の選手たちをきっと鼓舞してくれることだろう。

怪物ヘーシンクを前に「タースケターマエ」

 柔道がオリンピックに採用されたのは、1964年開催の東京大会から。当時は、軽量級(68キロ以下)、中量級(80キロ以下)、重量級(80キロ超)、無差別級の4階級だった。

  • ヘーシンクの金メダルを報じる1964年10月24日付読売新聞朝刊9面
    ヘーシンクの金メダルを報じる1964年10月24日付読売新聞朝刊9面

 リアルタイムではなく、のちの時代に東京オリンピックを追体験する者にとっては、当時、日本発祥の柔道では「全階級制覇が至上命令とされていた」とか、決勝でオランダのヘーシンクに日本の神永が敗れ、無差別級で金メダルが取れなかったことが「大きな衝撃」として国民に受け止められた、ように想像しがちだが、読売新聞の記事を読み返してみると実際はそれほどではなく、比較的冷静に報じられていたことがよくわかる。

 柔道無差別級の試合が行われたのは、最終日前日の10月23日。同じ日、「東洋の魔女」と呼ばれた日本バレー女子チームが金メダルを獲得しており、翌24日の読売新聞朝刊1面のトップ記事は、「女子バレー 日本、輝く金メダル」だった

「万策つきた」とコーチがコメント

  • 近藤日出造の「いざ五輪」が掲載された64年9月13日付読売新聞夕刊
    近藤日出造の「いざ五輪」が掲載された64年9月13日付読売新聞夕刊

 柔道競技の結果が掲載されているのは9面。「ヘーシンク、抜群の強さ」との見出しで、ヘーシンクの金メダルを伝えている。ほかの見出しにも「ヘーシンク 試合運びに余裕」「神永に“体力”のカベ」とある。負けた神永選手の「力いっぱい戦った」、日本チームの醍醐コーチの「万策つきた」とのコメントなどと合わせて読む限り、ヘーシンクの金メダルは「想定内」との雰囲気が伝わってくる。

  ヘーシンクが柔道界のひのき舞台に登場したのが、1961年にフランス・パリで開かれた第3回世界選手権大会。この大会でヘーシンクは、神永、古賀、曽根の日本人有力3選手を倒し初優勝、以来、無差別級の頂点に立ち続け、東京オリンピックでも優勝候補の最有力だった。

「日本のものは日本へ返せ」

 その事実を示す記事が、大会前に一つ。当時人気だった漫画家の近藤日出造が「いざ五輪」のタイトルで、各競技の有力選手を大会前に訪ねるという記事を書いている。その3回目が柔道の回(64年9月13日付夕刊)で、神永昭夫と猪熊功の二枚看板を奈良県桜井市で行われていた合宿に訪ねている。近藤は、得意のユーモラスなタッチで、こう記している。

 「無差別、上は無制限。オランダの怪物ヘーシンクはこの無差別で、神永選手か猪熊選手とぶつかることになろう。タースケターマエ」

 「家元日本柔道、問題は、一にも二にもヘーシンク。おでん、かん酒、すし、てんぷら、日本のものは日本へ返せ」

2016年08月01日 10時46分 Copyright © The Yomiuri Shimbun