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読売新聞で振り返る五輪名場面

競泳日本、前畑から岩崎恭子までの56年

メディア局編集部 二居隆司

 日本人のオリンピック・金メダリストの第1号は?

 答えは、1928年(昭和3年)、第9回アムステルダム大会の三段跳びで優勝した織田幹雄である。記録は、15メートル21。ちょっとしたスポーツ通なら答えることができるだろう。

 では、第2号は?

 かなりの「雑学王」でなければ、正解はむずかしいのではなかろうか。

 正解は、同大会の競泳男子200メートル平泳ぎで優勝した鶴田義行だ。織田が初の金メダルを獲得した8月2日から6日後の8月8日のことだった。もし陸上と競泳の競技日程が逆だったら……。詮ないことだが、ついそう考えてしまう。
 その優勝を伝える同年8月9日付の読売新聞朝刊の見出しは、「二百米胸泳決勝に鶴田選手一着となる」。

 平泳ぎでなく「胸泳」という表現に時代を感じさせられる。

戦前は「水泳強国」だった日本

  • 鶴田義行の日本競泳第1号の金メダルを報じる1928年8月9日付読売新聞朝刊
    鶴田義行の日本競泳第1号の金メダルを報じる1928年8月9日付読売新聞朝刊

 オリンピックで日本の競泳陣が獲得した金メダルは、前回のロンドン大会までで合わせて20個。

 大会ごとの内訳をみると、戦前は、初めて競泳に参加した第7回大会のアントワープが0で、続くパリも0。アムステルダム1に続いて、ロサンゼルス5、ベルリン4。

 戦後は、オリンピック復帰の大会となったヘルシンキが0。以後、メルボルン1、ローマ、東京がともに0でミュンヘン2、ソウル、バルセロナが1ずつで、シドニー0、アテネ3、北京2、ロンドン0である。このうち男子平泳ぎの北島康介がアテネと北京の2大会連続で、100メートルと200メートルを制し、4個獲得している。

 戦前と戦後でちょうど10個ずつ獲得しているが、内容を比較してみれば戦前の日本競泳陣の強さが際立つ。かつては水泳強国だったのだ。

前畑を見舞った金の「重圧」

 戦前のオリンピックにおける日本競泳白眉の場面は、36年ベルリン大会女子200メートル平泳ぎにおける前畑秀子の日本女子初の金メダル獲得だろう。このレースをラジオ中継したNHKアナウンサー河西三省の「前畑がんばれ」はあまりにも有名。優勝タイムは、3分3秒6。この間、河西は24回「がんばれ」と叫んだとされる。

  • 前畑のプロフィル・近況を紹介する1930年2月2日付読売新聞朝刊
    前畑のプロフィル・近況を紹介する1930年2月2日付読売新聞朝刊

 金メダル獲得までの前畑の歩みを読売新聞でたどってみると、1930年2月2日付朝刊に「名古屋椙山高女に転校した平泳の前畑秀子さん」の見出しが見つかった。前畑はその前年、ハワイの国際大会に出場し、100メートル平泳ぎで優勝、期待のスイマーとして注目を集めていた。

 その記事中で、現和歌山県橋本市の豆腐屋の一人娘として育った前畑は、「毎日お店の『豆腐』を食べて成長したから、そのヴイタアミンBのおかげで、娘にしては惜しまれる体格となり、ひまさへあれば近所の川で水泳ぎをやっていた」と紹介されている。

前回大会は0.1秒差で銀

 実は前畑はベルリンの前の大会のロサンゼルスで、200メートル平泳ぎに出場し、銀メダルを獲得している。1位との差は、0.1秒。

 読売新聞の特集記事「[スポーツ100年]前畑秀子とその時代(下)」(1999年12月11日付朝刊)によると、「意気揚々として帰国し」「引退して結婚する夢を描いていた」前畑に、当時の東京市長から「思いもかけぬ言葉を浴びせられた」とある。

 「なぜ、金メダルを取ってくれなかったんだね。この悔しさを4年後のベルリンにぶつけてくれ」

 同じ記事によると、悲痛な思いでベルリンでのリベンジに臨んだ前畑には、もし負けた場合、「帰りの船から飛び込む可能性がある」として「護衛をつけることが決まっていた」という。

2016年08月02日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun