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冬のオリンピックこぼれ話

元王者「氷上のF1」へ【1998年 長野】

 「氷上のF1」捨て身の挑戦――。長野冬季オリンピックを半年後に控えた1997年(平成9年)7月、そんな見出しで、大きなそりを押してダッシュを繰り返す一人の異色のアスリートが、読売新聞運動面に紹介されました。ボブスレーの代表入りをめざす元陸上短距離選手、青戸慎司(あおとしんじ)さん(当時30歳)でした。

100メートル日本新 力強いダッシュ

 青戸さんは、かつて日本を代表する名スプリンターでした。178センチと恵まれた体格で、世界にも通用するパワーの持ち主として注目され、21歳だった1988年(昭和63年)9月、男子100メートルで10秒28の日本新をマーク。「大器ようやく開花」と報じられました。

 以前の日本記録保持者の不破弘樹さんが“ナイフのような切れ味”があったのに対し、青戸さんには“なたを振り下ろすような力強さ”がありました。

  • バルセロナ五輪、陸上男子400メートルリレー準決勝で、日本新記録を出し決勝進出を決めた日本チーム。左から青戸慎司、杉本竜勇、鈴木久嗣、井上悟の各選手(1992年8月7日撮影)
    バルセロナ五輪、陸上男子400メートルリレー準決勝で、日本新記録を出し決勝進出を決めた日本チーム。左から青戸慎司、杉本竜勇、鈴木久嗣、井上悟の各選手(1992年8月7日撮影)

 同年のソウル五輪に続き、2度目のオリンピックとなった1992年のバルセロナ五輪では、100メートルは2次予選で敗退しましたが、400メートルリレーでは得意のスタートダッシュで第1走者として力走。1932年のロサンゼルス五輪以来、日本チームはリレーで60年ぶりの決勝に進み、6位入賞を果たしました。

 青戸さんの陸上人生はこのバルセロナがピークで、以後は華やかな表舞台から姿を消していきます。しかし、「スポーツ人生」は終わっていませんでした。バルセロナ五輪から5年後の1997年の夏、翌年の長野冬季オリンピックのボブスレー代表に挑戦することを表明、世間をあっと言わせたのです。

燃え尽きたい……恐怖との闘いも

 母校の中京大学の就職部に籍を置き、陸上部コーチをしていた青戸さんは、読売新聞の取材に「日本記録を出した後は精神的に守りに入った」と振り返り、21歳のときの記録を超えられないまま終えた競技生活に、悔いを感じているようでした。

 大学の恩師の勝亦(かつまた)紘一教授(当時、現陸上部顧問)は、まな弟子のオリンピック再挑戦をこう受け止めました。「青戸はまだ、心にくすぶるものがあるんだろう。最後まで燃え尽きたいんだな」

  • 「残された時間で全力を尽くす」と、長野五輪のボブスレー代表を目指しハードな練習に励む青戸選手(長野・飯綱高原で1997年6月17日撮影)
    「残された時間で全力を尽くす」と、長野五輪のボブスレー代表を目指しハードな練習に励む青戸選手(長野・飯綱高原で1997年6月17日撮影)

 “氷の滑り台”を滑降するボブスレーは最高時速140~150キロに達し、「氷上のF1」といわれます。4人乗りでは重さ約300キロにもなる鉄製そりを、50メートルほど押してスタートさせ、その際、いかに加速をつけられるかが勝負のポイントになります。

 青戸さんは、長野オリンピックのボブスレー選手発掘の公募テストに合格。陸上で鍛えたスタートダッシュの瞬発力、そして持ち前のパワーを生かし、4人乗りの最後尾でそりを押す「ブレーカー」として代表に選ばれました。

 当時も陸上のトレーニングは続け、体は鍛えていたものの、新しい挑戦は苦労や恐怖の連続だったようです。「(体重を増やすために)胃薬を飲みながら(中略)毎日吐くほど食べていた」「(練習中の加速や壁にぶつかるときの衝撃に)『降ろしてくれ』と叫んでいた」と、読売新聞中部版に載った寄稿連載「青戸慎司 10秒に生きる」で回想しています。

 1998年2月、長野オリンピックでの本番レースで、青戸さんが乗り込んだ4人乗りの日本Bチームは16位にとどまり、強豪ヨーロッパ勢とのレベルの差を痛感させられました。

 夏と冬のオリンピックのダブル出場は、日本の女子では、スピードスケートで4大会、自転車で3大会に出場した橋本聖子さんをはじめ、同じ競技の組み合わせで関ナツエさんや大菅小百合さんが実現しています。しかし、男子でこの快挙を成し遂げたのは、青戸さんただ一人です。

 50歳になった青戸さんは現在、中京大陸上部の監督を務めています。昨年9月、桐生祥秀選手が男子100メートルで達成した日本初の9秒台を、福井市の現地で見届け、元日本記録保持者として読売新聞にコメントを寄せました。「9秒台は我々の時代から目指してきた偉大な記録で、感謝したいという気持ちだ。(中略)時代がようやく動き始めた」

 今も後進の指導者として、青戸さんの挑戦は続いています。(データベース部 水戸英夫)

 記事データベース「読売記事検索」で関連記事を読むことができます。青戸さんの長野五輪当時の記事は「平成」のタグを選び、1997年6月~98年2月の検索期間で、「青戸慎司 長野五輪」で検索を。「読売記事検索」はこちらから。

 1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。

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2018年01月19日 06時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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OARはロシアからの五輪選手
日本の獲得メダル 4 5 4
国別メダル
1 norノルウェー 14 14 11
2 gerドイツ 14 10 7
3 canカナダ 11 8 10
7 kor韓国 5 8 4
11 jpn日本 4 5 4

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