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    冬のオリンピックこぼれ話

    追放された3冠王候補【1972年 札幌】

     「スキー抜きで笑顔 “お立ち台”のメダリスト」。そんな見出しで、にこやかに手を振る女子選手たちの様子が読売新聞で紹介されました。

     1972年(昭和47年)、日本で初めて開かれた冬のオリンピック札幌大会。3日目の2月5日、最初のアルペン種目として恵庭岳で行われた女子滑降の表彰式で、ある“異変”が起きていました。いつもなら目立つように抱えられて、選手といっしょに写真に納まるはずのカラフルなスキーがありません。

    「ミスターアマ」スキー会場を“偵察”

    • 札幌五輪第3日。女子滑降表彰式。左から3位コロック(アメリカ)、1位ナディヒ(スイス)、2位プレル(オーストリア)。商標が写らないように選手たちはスキーを手にしていない(1972年2月5日、北海道・恵庭岳で)
      札幌五輪第3日。女子滑降表彰式。左から3位コロック(アメリカ)、1位ナディヒ(スイス)、2位プレル(オーストリア)。商標が写らないように選手たちはスキーを手にしていない(1972年2月5日、北海道・恵庭岳で)

     メーカーのロゴなどの商標がカメラに写らないように――という大会ルールが競技団体から伝えられ、選手たちがゴールインするたび、各国のスタッフも急いで片づけていたからです。「五輪“歩く広告塔”自粛」と、その記事のサブ見出しは伝えています。

     この日、会場には、国際オリンピック委員会(IOC)のアベリー・ブランデージ会長(当時84歳)も姿を見せました。アルペンスキーの選手たちを「広告塔」と厳しく批判していた老会長は、自分の思い通りに改革が進んでいるのか、自ら“偵察”に来たようでした。

    • 札幌五輪で来日し、記者会見するブランデージIOC会長(1972年1月24日、羽田空港で)
      札幌五輪で来日し、記者会見するブランデージIOC会長(1972年1月24日、羽田空港で)

     札幌オリンピックは、五輪のアマチュア問題で大きく揺れた大会でもありました。

     開会式3日前の1月31日、IOCは札幌市内で総会を開き、アルペンスキーのスター、オーストリアのカール・シュランツ選手(当時33歳)の参加を認めない決定を下したのです。「シュランツ事件」として冬のオリンピック史に刻まれる出来事です。

     「一徹通した“ミスターアマチュア”」の見出しで読売新聞は、そのIOC総会の攻防を伝えました。IOC会長として20年間、オリンピックのアマチュア主義を貫いてきたブランデージ会長は「(高齢の私には)札幌が最後の冬季オリンピックだ。アマチュアリズムを守るため、みなさんの理解を」と訴え、シュランツ選手の「退場」に執念をにじませました。

    広告に登場 オリンピック憲章違反に

    • アマチュア規定違反で札幌五輪への参加資格を剥奪され、記者会見するカール・シュランツ選手(1972年2月2日、札幌市真駒内のプレスセンターで)
      アマチュア規定違反で札幌五輪への参加資格を剥奪され、記者会見するカール・シュランツ選手(1972年2月2日、札幌市真駒内のプレスセンターで)

     シュランツ選手については当時、年間6万ドル(当時のレートで約1850万円)を稼いでいると米誌が報道。「(経営する)ホテルの客に自分のブロマイドを配り、さまざまな広告に顔を出して」いたと読売新聞は伝えています。特に広告への写真提供が、オリンピック憲章のアマチュア規定に違反すると問題視されたのです。

     ところが、実は他のアルペン選手たちも似たような状況でした。大会や練習で国内外を転々とするための「巨額の費用」がかかり、「選手が(スキーメーカーなどの)PRにひと役買う代わりに、用具や旅費などを提供してもらう」ことは公然の秘密となっていました。

     しかし、ブランデージ会長は、シュランツ選手の反抗的な言動も指摘し、「かれはIOCに挑戦している」と厳しく批判。IOC委員による投票の結果、賛成28反対14で、シュランツ選手一人だけ、札幌五輪からの「退場」が決まります。

    • 札幌五輪。ブランデージIOC会長(左)とアイスホッケーをご覧になる昭和天皇、香淳皇后(1972年2月4日、札幌市の真駒内屋内スケート競技場で)
      札幌五輪。ブランデージIOC会長(左)とアイスホッケーをご覧になる昭和天皇、香淳皇后(1972年2月4日、札幌市の真駒内屋内スケート競技場で)

     3冠王候補ともいわれたシュランツ選手は失意の中、札幌を去ります。同胞のオーストリアのスキー陣も抗議の帰国の動きを見せましたが、シュランツ選手が引きとめ、出場するように説得。“アルペン王国”の総引き揚げは開会式前日、ぎりぎりで回避されました。

     このニュースを市長室で聞いた札幌市の板垣武四(たけし)市長(当時55歳)は、「『よかった、よかった』と飛び上がらんばかりに喜び、(開会式を前にご訪問中の)天皇、皇后両陛下のご案内のため、足どりも軽く部屋を飛び出して行った」そうです。


    アマチュア主義のその後

     「シュランツ事件」は五輪のアマチュア主義への回帰をもたらしましたが、当時すでに理想と現実はかけ離れていました。ブランデージ会長が1972年の夏季ミュンヘン大会を最後に退くと、74年のIOC総会で、五輪憲章から「アマチュア」の文字がほとんど削除されます。やがてプロにも門戸が開かれ、98年の長野オリンピックでは、アイスホッケーで北米プロリーグの選手が出場、ドリームチームが誕生しました。

     シュランツ選手もIOCからオリンピック参加資格の復権を認められ、五輪特別メダルを贈られます。札幌五輪から16年後のことでした。

     「アマチュアリズムでは金持ちしかスポーツを楽しめない」。アルプスの町で営むスキー宿で1991年、読売新聞の取材にシュランツさんは「ぼくの失格がきっかけで、その後の選手は公然とお金をもらえるようになった」「その役に立ったと考えるとうれしいね」と語りました。

     プロ選手もオリンピックに出場する今では、札幌を揺るがせたプロ・アマ問題は昔話になりました。しかし、そこには一人のスター選手のほろ苦い“犠牲”がありました。(データベース部 武藤泰之)

     記事データベース「読売記事検索」で関連記事を読むことができます。シュランツ事件のIOC総会の記事は、「明治・大正・昭和」のタグを選び、「シュランツ IOC総会」でキーワード検索を。「読売記事検索」はこちらから。

     1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。

    2018年01月25日 16時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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    記録は時事 ©IOC 2018 Copyright © JIJI PRESS Ltd. All Rights Reserved.
    OARはロシアからの五輪選手
    日本の獲得メダル 4 5 4
    国別メダル
    1 norノルウェー 14 14 11
    2 gerドイツ 14 10 7
    3 canカナダ 11 8 10
    7 kor韓国 5 8 4
    11 jpn日本 4 5 4

    2/25 17:17

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