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メキシコ五輪代表で日本テニス協会副会長 坂井利郎さん(72)(東京)

1968年のメキシコ大会で、エキシビション競技と公開競技として行われたテニスに出場しました。24年のパリ大会を最後に五輪競技から外れていたので、テニス界ではピンとこないというのがあったのでしょうか。早稲田大の僕と、法政大の神和住純選手が派遣されました。
僕らには開会式用のブレザーは支給されませんでした。でも、ホッケー代表だった早大の先輩が「俺は開会式に出られない」というので、そのブレザーを借りて日本チームの行進に加わりました。今だから言える話ですね。
四大大会で優勝していたイタリアのピエトランジェリや、後に優勝するスペインのオランテスなど強い選手が出ていました。僕はオランテスに負けたんですが、第2セットで8―10という大接戦をやりました。
選手村では重量挙げの選手と同じ部屋でした。三宅義信さん、一ノ関史郎さんなど、メダルを期待されている選手たちは、減量のために食事をあまり取れず、ピリピリした雰囲気だったのが印象に残っています。
日本のサッカーが3位決定戦で地元メキシコを破って銅メダルを取った試合は、スタンドから応援しました。メキシコでは、選手として良い経験と刺激をもらいました。
2020年東京五輪は地元で開催される格別な大会で、テニスでは錦織圭選手、大坂なおみ選手のメダルに期待しています。錦織選手はけがから復帰の年になりますが、16年リオ五輪で、テニスの日本勢として96年ぶりにメダルを取っているので、荷は軽くなっているのではないでしょうか。
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