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炎と煙でつないだ聖火…1964トーチ開発物語

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 2020年東京オリンピックの国内聖火リレーが3月12日にギリシャで採火され、26日に福島県をスタートする。夏季大会では1964年以来で、前回実施時の映像や写真には、トーチから立ち上る炎と勢いよく吐き出される白煙の様子が記録されている。日本の戦後復興を世界に印象づけた56年前のオリンピック。その先導役を担ったトーチに込められた人々の物語を追った。

「最終実験」は新入社員

こうやって走らされたんですとトーチを持つ熊谷さん(栃木県内の自宅で)
こうやって走らされたんですとトーチを持つ熊谷さん(栃木県内の自宅で)

 「熊さん、これ持って走ってくれよ」

 オリンピック開幕まで半年足らずに迫った1964(昭和39)年の初夏。熊谷進さんは上司から金属の筒を渡された。防衛装備品などを作っていた昭和化成品(横浜市)に、その春に入社して戸塚工場の事務職に配属されたばかりの18歳。手にしたのは、同社が製作し、8月に始まる聖火リレーで使われるトーチだった。

 重さ540グラムのトーチは納品直前だった。14分間の燃焼時間内に火が消えないか、火の粉が外に飛んでランナーがやけどをしないか…。高校時代にラグビーの全国大会に出場したスポーツマンの新人社員に「最終実験」の白羽の矢が立った。

 「上の方は熱くなるから筒の下部を持って。上に持ち上げて走れ」と言われた熊谷さんは、燃え尽きるまでグラウンドをぐるぐる回った。「きつかったよ。火の粉は飛んでこないけれどけっこう熱かった。本番前にあんなに長時間、持って走ったやつはいないでしょう。聖火ランナー第1号? うん、ハッハッハ」

試作品1000本~明るい炎とたなびく煙を

1964年の聖火リレートーチ(レプリカ、日本工機白河製造所で)
1964年の聖火リレートーチ(レプリカ、日本工機白河製造所で)

 福島県西郷村。昭和化成品を前身とする日本工機株式会社(本社・東京)の白河製造所で、当時のトーチ(レプリカ)を見た。長さ55センチ、直径3センチのステンレス製の筒の中に、赤リンや二酸化マンガン、マグネシウムなどの薬剤を入れて炎と煙を出す。先端には点火用の加熱剤がついていた。工業デザイナーの草分けだった柳宗理氏がデザインした鋳鉄製の黒いホルダーに、トーチを差し込んで使うため、総重量は1キロを超える。

 「雨や風でも絶対に消えないトーチを作ってほしい」というのが五輪組織委員会のリクエストだった。「砲弾や産業用火薬を製造していたから『火薬のプロ』ということで依頼があったようです。明るい炎と、(演出効果を高める)たなびく煙が開発の狙いでした」と同社取締役の寺島実さんは話す。

寺島実さん
寺島実さん

 今回2020年のトーチの燃料は基本的にLPガス(液化石油ガス)。環境への配慮などから煙が出ないタイプのトーチの開発も進んでいるが、当時は高度経済成長まっただ中だ。輝く未来への夢と希望を炎と煙に託したと言ったら言い過ぎだろうか。

 トーチ開発には工夫が必要だった。社の主力商品の火薬は、物を破壊するなど短時間で高エネルギーを出すものだが、聖火リレーでは薬剤を使って長時間、炎と煙を出し続けなければならない。試行錯誤の末、試作品は1000本に上った。消えない工夫にも知恵を絞った。筒の中に酸素供給剤を入れ、水中でも消えないトーチが完成した。

 あまり知られていない裏話がある。1998年長野冬季オリンピックの聖火リレーは、トーチの火が消えるハプニングが頻発したこともあり、開会式では組織委員会からのリクエストで同社のトーチがバックアップとして準備されていたという。結果的に出番はなかったが、会社の技術力が組織委から信頼されていた証しだった。

白い作業着で身を清めた開発者たち

沖縄で聖火台に点火。オレンジ色の炎が鮮やかだ(1964年9月7日)
沖縄で聖火台に点火。オレンジ色の炎が鮮やかだ(1964年9月7日)
最終走者の坂井さんが国立競技場の聖火台に点火。トーチはその任務を全うした(1964年10月10日)
最終走者の坂井さんが国立競技場の聖火台に点火。トーチはその任務を全うした(1964年10月10日)

 1964年8月21日にギリシャのオリンピアで採火された聖火は、アジアなど12都市に寄港してリレーを行いながら9月7日に当時アメリカ統治下の沖縄に到着。その後4ルートに分かれて国内リレーが行われて東京を目指した。ギリシャから東京まで、聖火が旅した距離は空輸、地上・海上リレーを合わせて約2万6000キロ。10万人余のランナーによってつながれた7200本のトーチの灯は消えることなく、その任務を全うした。

 フィナーレは10月10日の東京・国立競技場。「世界中の秋晴れを、全部東京に持ってきてしまったような素晴らしい秋日和でございます」。NHK北出清五郎アナウンサーのテレビ実況で進んだ開会式で約7万の観衆が見つめる中、午後3時30分、最終走者の坂井義則さんがトーチから聖火台に点火させた。

 社史の「日本工機55年史」には、「点火した瞬間の興奮、それが無事に終了した時の安堵、いずれも昭和化成品の全社員にとっては、ひときわ強烈に、かつ長く思い出に残るものとなった」と記されている。熊谷さんも会社のテレビでその瞬間を見ていた。「俺はこれ持って最初に走ったんだ。すごいなあ、と思いましたよ」

 このトーチの開発責任者は昭和化成品戸塚工場の技術課長だった門馬佐太郎氏(故人)。戦時中は海軍工廠で照明弾や砲弾の研究を行い、戦後も同社で砲弾などの開発を担っていた。

 1964(昭和39)年8月23日付読売新聞朝刊の企画記事「エース登板」に当時45歳の門馬さんのインタビューが掲載されている。開発者の意気込みが良く伝わってくるので少し長いが引用する。

 「一本でも不良品があってはいけないので、品質管理、つまり均一な製品ができるよう気を配りました…史上最高のできだとうぬぼれています…(略)…オリンピックに使われるというので、みんな張り切りましてね、専用の作業室を決めました。関係者以外は入れず、聖地みたいでした。工員も白い特別あつらえの作業衣を着て、身を清めて働いたものです。いつも砲弾などという時代錯誤のものを作っていますがことしは高校卒の採用で聖火をやっているといいましたらききましたねえ。聞いている人の表情がパッと明るくなりました。火薬が、もっと平和な用途に伸びるといいんですがねえ」

「煙は感激するんですよ」

 「明るい炎とたなびく煙」には、実験台聖火ランナーを務めた熊谷さんも強い愛着を抱いている。「1964年のトーチが良かったのはね、オレンジ色がものすごく光るのね。ガス(が燃料)のトーチはあんまり光らないの」。熊谷さんは東京オリンピック後、トーチの開発や改良の担当も歴任した。

 「ああ、当時はこうやって作ったんだな、って先輩たちの見事な仕事に驚くことがありました。燃焼剤の配合は一回決めたら変えちゃいけないんだけど、燃焼具合にバラツキが出る。そこは職人の長年の勘で、微修正したんだろうね」

 同社はその後、1972年札幌、1984年サラエボの冬季オリンピック2大会でもトーチ製造を請け負った。「今はあまり煙が出ないものもあるけれど、やっぱり煙は感激するんですよ。炎だけだと残存性がないんです。2020年のトーチも煙出てほしいんだけどなあ」と熊谷さんはいたずらっぽく笑った。(読売新聞オンライン 千葉直樹)

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1106044 0 東京オリンピック2020速報 2020/03/13 11:30:00 2020/03/13 15:02:32 2020/03/13 15:02:32 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/02/20200226-OYT1I50034-T.jpg?type=thumbnail
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