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名実況あり、国民的ヒロイン誕生あり…久々「金」はドラマチック

   
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 2月20日付の読売新聞の連載「金の系譜」に、2008年北京オリンピックで女子ソフトボールが金メダルを獲得したのが日本の球技では32年ぶりだったという記載がありました。今夏の東京オリンピックは日本が初めて金メダルを取ってから92年、初メダルからはちょうど100年の大会となります。長い歴史があるからこそ、久々のメダルも生まれます。(読売新聞オンライン 斎藤明徳)

2個目は48年後

ロンドン大会ボクシング男子ミドル級で決勝進出を決めた村田諒太選手(2012年8月10日)。翌日の決勝も制し、日本ボクシングに48年ぶりの金メダルをもたらした
ロンドン大会ボクシング男子ミドル級で決勝進出を決めた村田諒太選手(2012年8月10日)。翌日の決勝も制し、日本ボクシングに48年ぶりの金メダルをもたらした

 「久々」というためには、複数個が必要となります。夏季大会の金メダルで、日本が複数とった競技は柔道(39個)、レスリング(32個)、体操(31個)、水泳(22個)、陸上(7個)、バレーボール(3個)、重量挙げ、ボクシング(各2個)の八つです。

 1964年東京大会で初めて金メダルを取った4競技のうち、柔道は金メダルを取り続けていますし、バレーボールは1960~70年代にかけて集中的に、重量挙げは次の68年メキシコ大会で2大会連続の獲得を果たしています。

 一方、2個目の金獲得に難産したのがボクシングです。メキシコ大会の銅を最後にメダルには届きませんでしたが、2012年に一気に金・銅の2個を獲得。特に男子ミドル級の村田諒太選手の金は日本の五輪ボクシングにとって48年ぶりの輝きとなりました。「金メダルを取ったことがゴールではない。金メダルを傷つけない、金メダルに負けない人生を送るのが自分の役目」(読売新聞2012年8月13日付朝刊1面)との言葉通り、村田選手はプロ転向後も活躍しており、現在は世界ボクシング協会(WBA)ミドル級チャンピオンに君臨しています。

国民的ヒロイン誕生

シドニー大会女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さん。ゴール後、観客席から手渡された日の丸を手にほほ笑んだ(2000年9月24日)
シドニー大会女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さん。ゴール後、観客席から手渡された日の丸を手にほほ笑んだ(2000年9月24日)

 競技単位で見た場合、最も金メダルのブランクが長かったのは陸上です。1928年アムステルダム大会で日本の金1号を出した競技ですが、36年ベルリン大会で日本代表として出場したマラソンの孫基禎氏を最後に、戦後は長らくオリンピックの頂点から遠ざかっていました。

 それを打ち破ったのが、2000年シドニー大会女子マラソンの「Qちゃん」こと高橋尚子さんです。日本陸上界64年ぶりの偉業に、同年9月25日付の読売新聞社説は「勝負を仕掛ける前にサングラスを投げ捨てたのは、千両役者が見えを切る様にも似て、小気味が良かった」「『すごく楽しい四十二キロでした』と振り返り、今何をしたいかと問われて『おいしいものを食べたい』と笑う。血のにじむような努力を隠すあっけらかんとした表情が、新鮮でさわやかだった」とたたえています。

 その前2大会で有森裕子さんが銀・銅とつないだ日本女子マラソンの上げ潮を最高の形で結実させた高橋さん。2人を指導した小出義雄さんの名伯楽ぶりも印象的でした。

アテネ大会のメダルを手に笑顔の吉田沙保里さん(中央)と伊調千春(右)、馨の姉妹(2004年9月、名古屋市内)
アテネ大会のメダルを手に笑顔の吉田沙保里さん(中央)と伊調千春(右)、馨の姉妹(2004年9月、名古屋市内)

 女子の奮闘と言えば、レスリングも特筆ものです。04年アテネ大会では吉田沙保里さん(55キロ級)と伊調馨選手(63キロ級)が同じ日に頂点に輝き、日本レスリング界に16年ぶりの金メダルをもたらしました。男子の金は8年後の米満(よねみつ)達弘さん(ロンドン大会フリースタイル66キロ級)まで待たねばなりませんでしたから、値千金の活躍だったと言えましょう。2人のヒロインにとっては3連覇、4連覇の始まりでもあります。

栄光への架け橋

アテネ大会体操男子団体総合の表彰式で金メダルを胸に歓声にこたえる日本代表チーム(2004年8月16日)
アテネ大会体操男子団体総合の表彰式で金メダルを胸に歓声にこたえる日本代表チーム(2004年8月16日)

 体操の20年ぶりの金メダルは名実況を生みました。2大会連続メダルなしで迎えた04年アテネ大会、日本男子は団体総合決勝で5種目を終えて2位でしたが、最終種目の鉄棒で米田功さん、鹿島丈博さんが好演技を見せ、最後は冨田洋之さん。NHKの刈屋富士雄アナウンサーの「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」という実況とともに着地が決まった演技は2人の得点を上回る出来で、日本の金メダルが決まりました。

 花形競技だった水泳は戦後、競泳陣がメダル獲得なしに沈む大会も散見されましたが、4人の金メダリストが「架け橋」になりました。

 まず1972年ミュンヘン大会では、田口信教(のぶたか)さんが男子平泳ぎ100メートルで日本水泳界に16年ぶりの金メダルをもたらし、200メートルでも銅を獲得。そして、女子100メートルバタフライでは青木まゆみさんも金メダルに輝きました。

 次の金メダルはまたもや16年後で、88年ソウル大会の男子100メートル背泳ぎで鈴木大地・現スポーツ庁長官が獲得。続く92年バルセロナ大会で14歳の岩崎恭子さんが女子200メートル平泳ぎで頂点に立ちました。この種目の金は前畑秀子さん以来56年ぶりでした。

 実は、68年メキシコ大会から96年アトランタ大会まで、競泳に限れば獲得したメダルはこの4人による5個しかありません。2000年代に復活するまで、金メダリストたちが水泳ニッポンの伝統を死守したと言えるかもしれません。

錦織は96年ぶり快挙

リオデジャネイロ大会のテニス男子シングルス3位決定戦でナダル選手に勝利しガッツポーズする錦織圭選手(2016年8月14日)
リオデジャネイロ大会のテニス男子シングルス3位決定戦でナダル選手に勝利しガッツポーズする錦織圭選手(2016年8月14日)

 金メダルに限らなければ、テニスの96年ぶりが最も長くかかったメダル返り咲きとなります。日本が最初にメダルを獲得した1920年アントワープ大会の銀2個はいずれもテニス(男子のシングルス、ダブルス)であり、最新の2016年リオデジャネイロ大会で錦織圭選手により銅がもたらされたのですから。

 1996年アトランタ大会では伊達公子さんが4強入りを逃し、2004年アテネ大会では杉山愛、浅越しのぶ組が3位決定戦で敗れました。錦織選手は18歳で出場した08年北京大会は初戦で敗退、12年ロンドン大会は8強、3度目の正直となったリオ大会では3位決定戦で見事、ラファエル・ナダル選手(スペイン)を破り、歴史を作りました。

メダルは歴史知る契機

 現状、競技別で最もメダルのブランクが長いのは1932年ロサンザルス大会で西竹一氏が大賞典障害飛越で金メダルを獲得した馬術と男子が「銀」を獲得しているホッケーとなります。また、種目別で見れば、前述したテニスの男子ダブルス(熊谷一弥、柏尾誠一郎組が銀)、女子種目では陸上女子800メートル(28年アムステルダム大会で人見絹枝さんが銀)になるでしょう。

 メダル獲得を契機に先人の偉業にスポットライトが当たり、歴史を再認識する好機にもなります。2020年東京大会では新競技や新種目による初メダルが話題をさらうでしょうが、「久々メダル」の吉報にも期待したいところです。

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1084314 0 東京オリンピック 2020/03/03 13:15:00 2020/03/03 13:15:00 2020/03/03 13:15:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/03/20200302-OYT1I50045-T.jpg?type=thumbnail
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