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[灯す Tokyo2020]<中>妻よ娘よ 雄姿見て…震災で家族犠牲

  
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 東日本大震災から立ち上がる被災地の姿を発信し、世界に支援への感謝を伝える「復興五輪」と位置づけられる東京大会。西日本豪雨や熊本地震の被災地も巡る聖火リレーは、最愛の人やなじみ深い地元、笑顔をくれたスポーツへの思いを込めてつながれる。

思い出詰まった街走る

娘の名前が刻まれた慰霊碑に触れる佐々木さん(7日、宮城県名取市で)=冨田大介撮影
娘の名前が刻まれた慰霊碑に触れる佐々木さん(7日、宮城県名取市で)=冨田大介撮影

 「頑張って走るから見ていてね」。宮城県名取市閖上ゆりあげ地区で今月7日、陸上自衛官の佐々木清和さん(53)が、東日本大震災の慰霊碑に刻まれた娘の名を指でなぞった。

 9年前に家族4人全員を失ったこの地で今年6月、聖火を手に走る。家族と暮らしていた家や、娘が通った中学校があったかけがえのない場所だ。

 妻りつ子さん(当時42歳)、中学2年だった長女和海かずみさん(同14歳)、義父母は自宅で津波に襲われた。「一緒にいれば助けられたのに」。数年間、酒を飲んでは自分を責め、体重を10キロ減らした。

 立ち直りのきっかけは、同じように子どもを亡くした保護者らとの集いだった。家族への思いや悲しみを口にすると、胸のつかえが少しずつおりた。今は「語り部」として、震災を知らない人に、家族や変わりゆく町の様子を伝えている。

 「復興五輪」を掲げる東京大会。周囲から否定的な意見も聞くが、「被災地が改めて注目され、これまで受けた支援への感謝を伝える良い機会」と前向きにとらえている。

 トーチを持つ6月22日は、りつ子さんの誕生日。「緊張するかもしれないが、妻と娘に少しでも格好いいところを見せたい」。家族との思い出が詰まった町を、ゆっくりと走るつもりだ。

西日本豪雨「当たり前に感謝」

 西日本豪雨にあった2018年7月6日夜。小学6年だった浅沼涼さん(13)(岡山県総社市)は激しい雨音と、家族の携帯電話に相次いで届く防災メールの着信音で眠れなかった。

 「ドーン」。爆音とともに自宅の窓ガラスが吹き飛んだ。外を見ると、約300メートル先のアルミ工場で炎が上がっていた。「何があったん」。怖さで涙があふれた。浸水による水蒸気爆発だと知ったのは後日だった。

 母や姉に肩を抱かれ、高台に逃げた。数時間後、川が氾濫し、自宅は濁流に沈んだ。家族は無事だったが、大切にしていた学習机は泥をかぶり、写真も流された。

 気分が沈みがちだった時、習っていたバレーボールの練習が再開された。体育館で仲間と大声を出すうち、頭の中はボールを追うことでいっぱいになった。「大好きなことに打ち込めることが、こんなにありがたいなんて」――。

 自宅の改修は昨夏終わり、中学校でもバレーボールを続けられている。浅沼さんは言う。「まだ多くの人が仮設住宅にいる。私の今の暮らしは当たり前じゃない」。本番は、地元を少しでも元気づけられるよう、精いっぱい走ると決めている。

熊本の復旧 発信したい

 震度5弱の2日後、震度6強の本震に襲われた。2016年4月、熊本県南阿蘇村の宮田鉄平さん(13)は、小学4年で熊本地震を経験。両親と姉の4人で避難所に身を寄せ、余震で自宅が倒壊しないか、友達は大丈夫かと、毎日心を痛めた。お年寄りや小さな子に声をかけながら、配給されたパンやあめを配って回った。「ありがとう」と言われると、うれしくなった。自衛隊が用意してくれたお風呂につかると、体だけでなく、心も温かくなった。

 あれから4年。壊れた道路や家の多くは新しくなり、崩落した阿蘇大橋は、20年度中の開通を目指し、日に日に橋げたを延ばしている。「僕の走る姿を通じ、阿蘇がここまで復旧してきたことを知ってほしい」と願う。

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1116186 1 東京オリンピック2020速報 2020/03/19 05:00:00 2020/03/19 05:45:43 2020/03/19 05:45:43 娘の名前が刻まれた慰霊碑に手を触れる佐々木さん(7日、宮城県名取市で)=冨田大介撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/03/20200319-OYT1I50019-T.jpg?type=thumbnail
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