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1964年東京オリンピック・マラソン、飛田給の折り返し

  
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アベベの走り 興奮今も

1964年東京大会のマラソン折り返し地点の碑
1964年東京大会のマラソン折り返し地点の碑

 甲州街道に面した調布市の「味の素スタジアム」南側の敷地に、五輪マークが刻まれた高さ約1メートル90の石碑が立っている。1964年10月21日の東京五輪マラソン競技。コースの折り返し点だった街道沿いには、駆け抜けるランナーに声援を送る市民の人垣があった。市と市体育協会が五輪を記念して建てた石碑は、当時の興奮を今に伝えている。

 あの日、折り返し点を選手に知らせる円すい状のコーンが置かれていたのは、甲州街道(調布市飛田給1丁目)の中央線上だった。

 「今と違って交通量も少なく、周りに何もない場所だった」。そう53年前を振り返る大塚一郎(72)は、競技13日前に同じ場所を聖火ランナーとして走った経験を持つ。

 現在の甲州街道は交通の大動脈で、道沿いには飲食店や車の販売店なども並ぶ。だが、当時の交通の中心は、200メートルほど南を並走する旧甲州街道だった。折り返し点周辺は、民家もまばらで倉庫や空き地が点在するさみしい場所だったという。

 地元住民にはマラソンのコースになると事前に伝えられていたが、聖火リレーで街道を走った時は、何も準備がされておらず、ただ平らな道路があるだけだった。

雑草、ゴミ 直前に沿道清掃

 本番が迫っても沿道は雑草が生え放題で、不法投棄されたイスや自転車などのゴミも散乱していた。そんな有り様を見かねて、沿道の一斉清掃を行ったのが、日本赤十字社傘下のボランティア団体「調布市赤十字奉仕団」の女性たちだった。

 奉仕団に加わっていた鴨下尚子(87)は、「せっかく世界中の人が走りに来るのだからきれいにしよう」と、仲間たちと誓い合ったことを今でも覚えている。

 清掃は競技の2週間ほど前。もんぺにかっぽう着姿の地元の主婦ら約30人が集まり、高さ1メートルほどに伸びた雑草を鎌で根こそぎ刈り取った。湯を沸かすため、炭をおこす家があった時代。忙しい家事の合間を縫っての清掃は大変だったが、「この道をアベベ選手(エチオピア代表)が走るんだ」と想像すると、ワクワクした。「選手がけがをしないように」と、小石1個にも目を光らせ、沿道の隅々まできれいにした。

はねるような軽やかさ

 64年11月の市報は、マラソン競技の当日に、市内だけでも15万人以上が沿道で見物したと伝えている。

 「折り返し点には何重にも人垣ができた。その目の前を、トップのアベベ選手が猛スピードで走り抜けていった」。レースを間近で見た野口平一(86)は興奮気味に語る。

 選手たちが折り返し点に近づいたのは、午後2時頃。地元の消防団員として、万が一に備えて近くのポンプ小屋に待機していたが、誰かの「そろそろ来るぞ」という声を聞き、じっとしていられなくなった。「すいません、すいません」と言いながら人垣に分け入ると、折り返し点にさしかかったアベベ選手が、ちょうど目の前を駆け抜けていった。

 「ここまで20キロも走っているんだ。ヨタヨタ歩いて来るのだろう」。そんな想像は裏切られた。走るというより、はねているような軽やかさで、思わず「えー」と声が出たのを覚えている。

 当時の驚きと感動は今も、目と心に焼き付いて消えない。あの五輪が、再び東京にやってくると思うと、何となくそわそわしてしまう。しかも、調布は、バドミントンや7人制ラグビーなどの競技会場になる予定だ。

 2度目の五輪まであと3年余。前回大会に関わった野口ら地元住民は改めて思う。「世界レベルの競技を子供たちにも見せたい」。そして、胸が熱くなる。あの日の興奮を伝える石碑を見る度に。(敬称略、桜井啓道)
 (2017年1月16日付朝刊都民版から)

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