完了しました
野球日本代表「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督(48)と柔道全日本男子の井上康生監督(42)(東海大教授)が東京・大手町の読売新聞東京本社で、4日であと200日となった東京五輪に向けた心境や金メダルへの意気込みを語り合った。新型コロナウイルス下で迎える五輪イヤー。2021年の一字に、稲葉監督は「束」、井上監督は「新」を掲げた。(構成 松田陽介、宮崎薫)
稲葉「『束』の字、医療従事者への花束の意味も込めた」
井上「『新』の字、新しい時代に柔軟に戦いたいとの思いから」

井上「この色紙に書かれた『束』というのは、どういう意味合いで書かれたんですか?」
稲葉「2020年に、結束の『結』、『結ぶ』という字を書かせていただいて、これは、私の監督としての、結びの最後の年だということと、みなで結束しようということで、『結ぶ』という字にさせていただきました。2021年、この『束ねる』というのは、19年にプレミア12があったんですが、そこで優勝して、そこから1年半空きますので、もう一度結束しよう、チームを束ねよう、ということで、『束』と。もう一つは、国民の皆さんも含めて、みんなで結束力を持って戦いましょう、と。こういうコロナの状況ですので、医療従事者の皆さんが大変な思いをされている中で、感謝の気持ちを込める花束を贈りましょうということで、『束』という漢字にいたしました」
井上「素晴らしいですね」
稲葉「井上監督は新しい、という字にしましたね」
井上「そうですね。2021年は、また新しい時代が作り上げられてくるのかな、というふうにすごく思っています。新しい時代に直面した中でも、しっかりと自分自身、柔軟性を持って戦っていきたい、対応していきたいなと思っています。されど、これまでの培われた伝統を我々は継承しつつ前に進んでいかなければいけないな、と思っているので、改めて、この『新』という字で2021年をスタートしたいと思っています」
<井上監督は現役時代、2000年シドニー五輪と04年アテネ五輪の2大会に出場。金メダルを獲得したシドニー大会では、表彰台で母の遺影を掲げた。>
井上「選手として2回出場するなかで、勝つことを目標にしながら戦った部分がありますが、改めて振り返ると、自分自身を成長させてくれた場だったと感じています。体を強くすることもそうですし、考える力もそうですし、人々と結びつく力も養わせてもらった。生きる力をオリンピックで培ったと思います」
井上「(遺影は)美化された行動として取り上げていただいているが、オリンピックでは表彰台に危険物を持ち込んではいけない。反省しているところです。家族の中でも母は、私がどんなに調子が悪いときでも、うまくいかないときでも、『あなたは必ずオリンピックで金メダルを取る』と後押ししてくれた人だったので、あの時は浅はかな考えだったけど、世界一になった息子をつくったのは母親だというのを見せたいと、パフォーマンスをさせてもらったところがあります」
稲葉「いつからオリンピックに出たいと目指しました?」
井上「小学校の高学年ぐらいからですね。宮崎のローカルテレビに出たんですよ。そのときにはっきり言っているんですよ。1回目のインタビューのときには、『僕はオリンピックに出たいです』と言った。終わった後に、『僕はオリンピック出たいじゃなかった。オリンピックで金メダルを取りたい、だった。だから、もう一回言わせてくれ』と言って撮り直してもらった。それくらい、強い思いを持った変わった子でしたね(笑)」
稲葉「そこに目標があったんですね。そこにお母様がついて?」
井上「父が柔道家として日本一と世界一を目指していたので。それを成し遂げることができなかったことを、我が子に託したんですね」
稲葉「お父様はどういう教育をされたんですか?」
井上「この場では言えないくらいスパルタでした(笑)。小学校4年のとき、どんな厳しい環境を与えられてもいい、強くなりたい、だから、お父さん指導してくれ、強くさせてくれと父に懇願したので。そのときから父はスイッチが入ったので、厳しく指導していただいた」
稲葉「柔道は金メダルをすごく期待されている。そのプレッシャーはどんな感じですか?」
井上「よく言われる質問で、『緊張しますか、プレッシャーかかりませんか』と言われるけど、かかるのは当たり前なんです。しかしながら、そういう使命を与えられることで力を発揮できるパワーっていうのも間違いなくあるんじゃないかと思っています。ですから私はあえて選手たちには、期待していただく、そういう地位を築いていることに対する誇りを我々は持とうよと、そしてそこに責任と自覚を持った上で戦っていこう、ということはよく使っている言葉かなと思います」
井上「もう一つは、やっぱり人間なので、緊張とかプレッシャーは感じる。それを受けとめた上で、試合でパフォーマンスを発揮できるための準備をどうしていくべきかというのも、考えていきながら一つひとつ準備をしているというところです」
稲葉「それを伝えられる時間があるといいですね」
井上「そうなんですね。ですので、合宿にしても、あえて設けたのは、畳の上だけでなく、座学じゃないけど、そういうミーティングなどの形式で選手たちに伝えていくとか、時には色々なことを体験させ、一つの方向だけじゃなくて、多角的に感じ取っていくような、克服して力を発揮していけるような取り組みはしていきました。全日本チームは365日一緒にやっているわけではなくて、所属の中から選ばれた人間たちを集めて、そして世界で戦っていくというシステムなんで、常日頃から、我々と選手、所属との関係性をうまく構築していきながら、環境作りは非常に力を入れてやってきています」
稲葉「金メダルを取って、どう野球につなげていくか」

<野球は現在の一次候補180人超から、最終的に選ばれるのは24人となる。>
井上「選考もこれから大変ですよね」
稲葉「そうですね。オリンピック競技から外れたり入ったりするので、選手がどれだけオリンピックに興味を持っているか。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)や、プレミア12という世界大会があるんですけど、オリンピックは北京(五輪の後)から外れているので。そういう意味でどう興味を持たせるか、興味を持ってもらえるかというところから始めました。僕が就任したときに、とにかくオリンピックだと、オリンピックを勝つためにやるんだという言葉をずっと発して、選手に意識してもらえるようにしたんですよ。難しいですよね」
井上「そうですよね」
稲葉「プロ野球のシーズンがありますので。選手はシーズンが一番大事なので」
井上「価値観がやっぱり、色々あるわけじゃないですか。どうオリンピックの価値観を理解させるかというのは、すごく大事なものですよね」
稲葉「そうなんです。オリンピックで、プロが(メンバーに)入れるようになって、勝ててないんですよ。金メダルを取れてないので、金メダルを取ったときにどうなのかというのは、僕も知りたい。僕も北京でメダルを取っていない。悔しさしか残ってないし、選手たちには金メダルを取って、どういう人生になっていくのか、どう野球につなげていくのか、そういうところは見ていきたい」
井上「誇りとか責任っていうところにおいて、よく使っているんですけど、『日本代表とは何なんだ』と。そこは選手たちに、まずは理解してもらいたい。やっぱり日本代表というものはどういうものなのかっていうのを感じ取ってもらうことって、すごく大事な気がするので。私自身、監督に就任したときに、選手たちに伝えたことって、やっぱりそのことだったので」
稲葉「柔道は基本的にオリンピックに出ないと、というのが強いじゃないですか」
井上「おっしゃる通りです」
稲葉「そこを目指していますよね。色々な大会はあるにせよ、そこはオリンピックなんですよね」
井上「また何か違う価値観が得られる大会とか、何かそういう事業ができた場合にはまた変わってくるかもしれないです。もっと言うならば、全日本選手権って昔から(体重)無差別の日本一を決める大会があるのですが、やっぱり世界大会がすごくメジャーになってくる中で、だんだん全日本の意識が薄れてきているっていうのもあると思うんですよね。世界なら無差別なんて、なんで60キロ級の選手が100キロとか、120キロと戦わないといけないのか、という世界なんですけど、でも、そこにやっぱり大きな日本柔道としての価値というのが私はある気がします。そういうものをどう理解して広めていけるかっていうのは、今後の日本柔道、また世界柔道の発展のために重要な目線なのかなと思うので」
稲葉「柔道は世界で(競技)人口は増えているんですか?」
井上「世界では増えています。しかしながら国内は減っているんですよ、残念ながら。世界の競技人口、世界の統計は難しいところがあるんですが、増えていることは間違いない。しかし日本の柔道の競技人口は年々、少子化の問題、人気的なものも含めて下がり続けているというのがありますので、それから上げるっていうのは難しいと思いますけど、どう下がっているものをなだらかにしていくのか、というのはすごく課題ではありますよね」
稲葉「テレビで取り上げているのを見ますので、人気あるなと思いますよね。一瞬のことで、すごい集中力もいるし、見ている方も目が離せないじゃないですか。野球だと一球一球間があるから、ちょっと間延びするところもあるじゃないですか。柔道って見ていないと一瞬で終わってしまう。集中して、選手たちが気合を入れて向かっている姿が、ああいうのって魂を感じる。面白いなって思います」
井上「自分がどういう人間か理解した上で準備を、と言っている」

<東京五輪に向け、柔道は男女14階級の代表選手が内定した一方、野球は今後、24人に絞っていく。>
稲葉「柔道のようにね、優勝したら決まりっていうのも、ちょっと酷な話でかわいそうではあるんですけど。私もプレミアで28人選びましたけど、そこから4人減りますから。ひょっとしたら、それまでずっと戦ってきた仲間が外れてしまうという可能性もある中で、ほんとに大変なことだろうなと思いますし……。野球って、たくさん人数がいますので。800人以上プロ野球選手はいるので。大変ですよ」
井上「我々はね、勝った、負けたというかね、そういう世界で選考される部分というのがありますから。チーム競技はそれだけじゃないと思うんですよ。全てトップ級を集めればいいチームができるかといえば、そうじゃない。すごくバランスを考えた上でやっていかなければいけない部分がありますから。そこの選考の仕方はとてつもないと思います」
稲葉「オリンピックまでどう調子を上げていくかというところも、すごく難しいと思うんですよ。どうですか?」
井上「その通りで、いわばスタートラインに立ったにすぎないので。我々のゴールはオリンピックなので、そこに対してどうマネジメントしていくかが勝負になってくる。柔道の場合は個人競技でもあるので、どうしたら個の選手たちがその日最高のパフォーマンスを出していけるかというところ。やっぱり、個の調整というのは全然異なってきますから。そこをうまく、その選手たちが持っている課題だとか能力というものをしっかりと克服、または最大限に引き上げていきながら、チームとして結束することがまた個の力に変わってくると思いますので、この両面を備えていきながら準備していく必要があると思っています」
稲葉「でもどうです? 調整って難しくないです? 『うわ、今日調子悪いわー』って時はあるんですか?」
井上「あります。柔道って、減量競技でもあるので。例えばですけど、試合がスタートして、初日で金を取って、次の日の(出場する)選手の心理状態は全然違うし、(前日の選手が)負けた後の心理状態も違う」
稲葉「ああ、そうか」
井上「だから、選手によって、『金とった、よっしゃ、俺も』って思う者もいれば、『金とった、やばい、俺だけ負けたらどうしよう』と思う人もいるかもしれないので。やっぱりその事もちゃんと想定した上で、自分自身がどういう人間かというものをちゃんと理解した上で、その準備をしていかなきゃ駄目だよと、常日頃、伝えてはありますね」
稲葉「柔道ってやっぱり、一つの技で、一本で決まってしまう。野球って27個のアウトで助け合いができるのでまだいいですけど。その辺、大変ですよね」
井上「一つのミスが致命傷になってしまうことがありますから。ですから柔道って一見、投げる魅力というものがある。でもその裏にはディフェンス力、防御力、ここも強化しておかないと、本当に今おっしゃった通り、一つのミスで、それで全て終わってしまいますから。そこのバランスのところは十分に気をつけた上で戦っていかないといけない。しかしながら、びびっていては乗り越えられない部分があるので、そこの何というか、駆け引きのところはすごく難しいところはやっぱりあります」
稲葉「1年ぽっかり空き、選考を含めて難しくなった」
稲葉「攻めなのか、守りなのか。井上監督はどっちを重視したんですか?」
井上「私の柔道は攻め。でもあまりにも、その攻めの理想だけを求めすぎてしまった敗因が、アテネだったので。なぜかというと、シドニーで金を取った、シドニーからアテネまでの過程って、ほぼほぼ外国の選手にも勝っていますし、ほぼほぼ一本で勝ってきたんですよ。だからやっぱり、アテネのときにどう自分自身のメンタルを持っていったかというと、やっぱり、自分の柔道は投げだと。きれいに勝つことだとか、きれいに投げること、これが俺の柔道なんだと。というものだけを求めすぎてしまって。1回戦で戦ったときにうまく投げられなかったんですよ。そのときに思ったのは、『やばい、自分自身の調子を戻さなきゃいけない』。で、それをやろうとしたら焦りにつながってしまって、だんだん崩れていったんですね。だからそのときに、『こういう戦い方もある』というのをちゃんと準備しておけばよかったものを、やっぱりそれを準備しきれなかったがために負けた、そう思っています」
稲葉「なるほど。勝ってきたばっかりに、それがいいと思ったんですね」
井上「そこをもう少し柔軟な発想のもとで準備できていたら、全然結果は変わってきたなっていうところがありますから。選手たちには、自分の理想を求めることは絶対に必要だと、そこは最大限伸ばしていこうと。だけど、試合前に特にやらせているのは、『最悪の準備をしておけ』と。自分がこうなったときに嫌だな、こうなった場面は苦しくなるなと、ちゃんと対応できる準備を考えた上で試合に臨みなさい、というのはよく伝えるところではありますね。そこのところができる選手ほど、一流じゃないかなと思っているので」
稲葉「では、一つの大会を、ひょっとしたら『ちょっと、この大会は守りから入ってみようか』という大会を作っても良かったということですよね、オリンピックを目指すのであれば」
井上「おっしゃる通りです。それがやっぱり日本柔道界の一つの課題であったんですね。なぜかというと、(これまでは)オリンピックの年も4月に選考があって7月に試合なんですよ。試す期間がない。でも新たな挑戦として、1年間オリンピックが延びたとなったときに、代表をそのままスライドさせたんですね。そのことによってそういう戦い方が、準備ができる、というところは一つの利点かなとは思いますので」
稲葉「あと、やっぱり勝ってきたので、負けたら話題になるじゃないですか。『井上康生選手負けた』という。ジャパンも、全勝して世界一になった大会はないんですよ。必ずどこかで負けているんですよ。でもその負けが必ず優勝に生きてくる。でも勝ち続けると、負けてしまうと一気に『負けた』って報道されてしまう、そういうつらさというのはありましたね。勝たなければいけない使命感といいますか」
井上「やっぱり変化したり、失敗を恐れすぎたりすると、進化にはつながらないな、というのをすごく感じます。選手たちには、練習は失敗する場所だから大いに失敗しなさい、いろんなことを試せと、そこで幅を広げていける目線を持っていこうということは、自分の経験上からも伝えている部分もありますね」
稲葉「なるほどですね。そういう意味では、僕はプランを立てて、この試合は試す、この期間は試すということをやってきたんですけど。それが1年ぽっかり空いてしまったので、もう試すことができなくなってしまったという意味では、選考のところを含めて、難しくなったなという感じですね」
井上「難しいですね、マネジメントは」
稲葉「僕はもともと、優勝すればいいと思っていて、全勝しようとは思っていない。最後に優勝すればいいと。そういうプランを立てて僕はずっとやっている。(北京五輪では)全勝しなくちゃいけないんだというふうになってしまい、硬さが出たというのは、あったので。そこは和らげてあげたいなと。東京はプレッシャーがかかると思いますし。なかなかね、柔道はそういうわけにはいかないですよね」
井上「その過程の中でも、環境を変えていきながら、60キロ級という階級の選手が、(国際大会で)あえて66キロ級で試合をやって。これまでは、やってなかったことだったんですけど、『先生どう思いますか』って言われて、『いや、それやってみろ、いいんじゃないの』とエントリーさせて、試合をやらせたりだとか。違う見方で考えたならば、全てを優勝しなきゃならないという感覚じゃなく、新たなチャレンジとしてそういう環境を与えるというのは、僕は全然良いなと思っているので」
稲葉「面白いですね」
井上「はい。ですから、できる範囲の中で、『これまでこうだったから』というのではなく、『どうしたらこのオリンピックで金メダルを取るためにやっていくか』というものを考えた上で、色々な変化、チャレンジはさせているところです」
五輪落選選手の発表で涙、井上「反省点」…稲葉「涙出る気持ち分かるなあ」
<井上監督は昨年2月、五輪代表内定選手を発表した際、涙ながらに落選した選手の名前を挙げた。>
稲葉「涙が出るって、気持ち分かるなあ」
井上「でもあのときはやっぱり、行為が良い悪いは別として、自分の中では『やってはいけないことだったな』と思いました。本当にそれは、すごく反省点で。監督というのは苦しい、つらいことは想定内でありますし、それを承知の上で覚悟を持った上でやらなければいけない立場ではあるので。一番苦しかったのは選手たちでもあるし。何か自分の中で思い上がっているというか、何で自分だけ苦しんでいるんだ、みたいな姿を見せたことがすごく恥ずかしくて。ですから、あの行為っていうのは、自分自身の中では、監督の立場としてはあってはならなかったとすごく反省しているところではあります。でも、自分が監督になって一番の想定外で、こんなに選考で苦しむのかって」
稲葉「そうなんですねえ。選考はやっぱりね……。でもね、僕の考えは、感情を出していいと思うんですよ。自然とあふれる涙というのは、これは分かってくれますよ。僕もプレミア優勝して泣いてしまったんですけども。井上監督が自分で(代表落選の)経験したことも、選手の気持ちが分かってあげられるので、選手の代わりにと言ったらおかしいですけど、そういうのが全部出てしまったという、自分の苦しみじゃないと思うんですよ」
井上「2番手以降も本当に僅差ですし。どっちが出ても、金を取る可能性が高い選手たちばっかりだったので。それを選ばなきゃいけないということが」
稲葉「大変ですよね、うん。(プロ野球の場合は)これまで携わってくれた選手も含めてジャパンはオフシーズンにありますから。3月もやりますが、11月は特にね。1シーズン戦って、その後で休んでいいところを、ジャパンのためにやってくれている。これもやっぱりオリンピックに向けてということでやってくれていますので。(最終選考の際には)そういう選手を選んであげられなかったという思いは、すごくあると思います」
<昨年12月13日に行われた柔道の東京五輪男子66キロ級代表内定決定戦は、阿部一二三(パーク24)が丸山城志郎(ミキハウス)との24分間の激闘を制した。>
稲葉「今回も丸山選手と阿部選手の戦いを見てね、井上監督が『丸山選手の分まで背負って頑張ってほしい』と阿部選手にエールを送っていましたけれど、まさにその通りで。入りたくても入れない選手がいるし。もちろん、そういうのは選手は分かってはいるんですけども。何かそういうところも含めて、監督って、思いがぐっとくるところってあるなと、すごく分かりますよ」
井上「2人は試合もそうでしたし、その後の振る舞いも、やっぱりスポーツ選手なのかなというのを考えさせられるようなコメントだった。負けた丸山の、『阿部選手がいたから私はここまで強くなれた』というコメントなんかにしても、なかなか、負けた直後にあのような言葉を出せるかというと、自分だったら出せないなと思うところでもあるし。阿部に関しても、『丸山選手の分まで戦う』というふうに伝えてくれた。我々はスポーツの勝ち負けという世界の中で生きていますけど、スポーツから学べることっていうのは、ああいうところじゃないかなと、感じさせてもらった」
稲葉「監督同士で話し、同じような気持ちなんだと思えた」
井上「柔道が他の競技とつながり持ち、大きな力が生まれる」
稲葉「やっぱり監督でしか分からない、考えることはあると思うし、監督同士でお話しできることによって、同じような気持ちなんだなあということを思えた。そういうのって監督しか分からないですしね。野球って特に、オリンピックの競技があったりなかったりするので、横とのつながり、ほかのスポーツとのつながりというのがどうしても、なかなか親交がないので、こういうお話をさせていただけるというのは、すごくありがたい。スポーツみんなで頑張っていこうと、そういうものが出来たら良いなと思います」
井上「柔道という現場で戦っていく人間たちは、『個』で頑張っていく。しかし、またその他の競技、横のつながりも持つことによって、また大きな力が、私は生まれてくるんじゃないかとすごく思いますので。日本代表が本当に一丸となって戦っていくことで、大きな力が生まれてくるんじゃないかなと。きょうもすごく勉強になりました。今後はもっと競技間が連携して、たとえば野球やっている子が時に柔道やるとか、そういう環境が生まれてくると、奪い合いじゃなくて、みんな共同で力を合わせていく形が作られていくと、もっとスポーツの、競技力の向上にもつながっていくでしょうし、その他の問題等も解決していける部分が出てくるのではないかなと思うので。個の選手が、チームスポーツをやるとすごく勉強になることがたくさんありますから」
稲葉「同じ監督の立場として色々な苦悩があって、それは当然、表には出せないですけども、同じ気持ちの中で戦っていっているんだなという仲間意識がすごく持てた。オリンピックは日本代表として、ほかのスポーツとともに、たくさん金メダルを取りにいきましょう、そういう意味では、お話しさせていただいて、仲間ができたと心強く感じました」
井上「そうですね。私もすごく学びもありましたし、時にやはり、監督というのは、孤独で、色々なものとの戦いがある。でも、そういうものを共有できる。先ほど、稲葉監督がおっしゃった通り、仲間というものがいることに対して、私自身も、気持ちが少し楽になった。2021年のこの戦いに向けて、チーム一丸となって、オールジャパンとしてまた戦っていきたいと改めて思いました」
井上「2021年、我々は東京オリンピックに向けて、今、様々な準備をしている段階であります。選手とともに、このスポーツの素晴らしさ、柔道の素晴らしさというものを、皆さんにお届けできるように、夢や希望、感動というものを与えていけるような、そういう戦いをしていきたいなと思っております。一緒にオールジャパンとして、戦わせてもらうことを楽しみにしていることと、我々、勝負の世界で生きている以上、必ずやお互いが最高のパフォーマンスをし、最高の結果を出していけるように、ぜひとも頑張っていきたいなと思っています」
稲葉「やっぱりスポーツの持つ力というのは、私は非常に強いものだと思っています。井上監督もおっしゃっていた通り、スポーツを通じて、皆様に色々なことを伝えていく使命感というのはあります。そういう意味でも、金メダルをしっかり取って、皆さんに少しでも喜んでいただけるものをお見せできるように、頑張っていきたいと思います。こうやって、井上監督とお話しさせていただいて、柔道を見る楽しさというのはすごく知りましたので、柔道をしっかりと応援していきたいなと思いますし、オリンピックが終わってから振り返って、『金、取れてよかったね』と、言い合えるように、お互いに頑張っていけたらなと思いました」