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コロナ禍という目に見えない脅威に世界が覆われてから1年近く。私たちは命を守ることを優先し、触れ合いを避け、不安を抑え続けてきた。新たな日常は、人を信じ、人とつながるという、人類が本来持ち得る最大の力の源を、気づかぬうちに枯らしてしまいつつあるようにも思える。
2020年東京五輪・パラリンピックの公式記録映画を任された河瀬直美監督の目には、大会の延期をも呼んだこの変転が、どう映っているのだろう。海外でも高く評価されてきた作品の数々には、苦難を抱える主人公たちが、他者と心を重ね、自然の中に光を見いだし、自分は生きていていいのだと感じ取る救いが隠されている。その希望を今、監督はどこに見るのだろうか。(編集委員 結城和香子)
どうすれば世界が再びつながれるのか…スポーツは最初の光

私が育った奈良は、1300年の(記述に残る)歴史がある。その1300年前の文書によると、当時天然痘が日本で大流行し、多大な人命が失われたという。その際に建立されたのが奈良の大仏さまです。人類の横にはいつもウイルスなどの脅威があって、しかし日本人は、
コロナ禍が世界を覆って以来、当たり前であったことが、実は当たり前でなかったという現実を、私たちは今生きています。映画館が閉められ、スポーツができなくなり、集うことで生まれていた人々の力が奪われていく。集えば感染のリスクがあり、だけど集わなければ孤立や孤独が襲う。なかなか見つからない答えを、探す知恵が必要なのだと感じます。
古来から人間は、試されながら進化してきた。ウイルスはなくならない。また新しいものが生まれる。排除するという考えだけではうまくいかない。日本人が昔から持ち続けてきた、共存という考え方もとり入れ、世界に訴えるべきことがあるのではと思います。
人はひとりでは、ものすごく弱い生き物です。なのに発展してきたのは、人と人のつながりが、何かを作り上げてきたからです。どうすれば世界が再び集えるのか――。スポーツは、それを表現していく最初の光になれるはずで、その象徴が2020年東京五輪・パラリンピックなのだと思います。
大会の延期が決まった時、思ったことがあります。1年後に大会が開催できたら、ただそこに人々が集うだけで、どれだけ感動的なものになるだろうか。演出などいらない、ただシンプルにみなが集まるだけで、と。

今だからこそ国を超えて、競技でつながり合いたい
スポーツは、本当に美しいです。単なる記録や勝敗だけではないものが潜んでいます。鍛錬を積んできた人たちの人間性、情熱。その物語に私たちが触れ、自分たちも前向きに生きていこうと思える何かがある。アスリートたちの精神が、希望を伝えてくれるのだと思います。私も、真剣にバスケットボールに打ち込んでいた時期があったので分かります。
公式記録映画の監督として、難民選手団も追っています。難民の若者たちが、コロナ禍の中で日本に来て、走り、競い合う。ただそれだけで、どれほど幸せだろうと感じます。人類が、戦争で殺し合うのではなく、競い高め合う場を持てるように。それがオリンピックの始まりでもあったはずです。
今、報道や世論には、なぜこんな時に五輪を開催しなきゃいけない、という声があります。感染が広がり、国境も封鎖される中で、不安が募るのは無理のないことです。でも私はもっと、アスリートなどの思いも伝わってくれればいいと思う。大会で目指すのは、勝ち負けだけではないのだと。今だからこそ国を超えて、競技でつながり合いたいのだと。なぜ五輪を開くのか、そこにはお金だけでは測れないものがあるからです。他方、五輪自体も、コロナ禍という警鐘も経て、本来人類にとって大切であった形に、根本にあった哲学に、近づくといいと思います。
大切にしなければいけなかったもの
映画を撮るようになって、加速している感覚があります。毎日、当たり前に
でも私たちは、デジタル媒体などがもたらす情報を処理するのに忙し過ぎて、本来大切にしなきゃいけないものを見落としながら生きています。本当に見て、本当に触れる時間が、あまりにもなさ過ぎるのです。私はそれを、奈良と都会の時間の感覚の違いに見ることがあります。パンデミックの中、家族と過ごす時間が増えて、大切にしなければいけなかったものを、見ていなかったことに気づいた人も多いのではと思います。