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陸上王国・福島を発信…五輪の夢、別の形で 

  
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男子マラソン元日本記録保持者 藤田敦史さん

 東京五輪の聖火リレーは27日、福島県全体のゴール地点となった郡山市など7市町で行われ、26市町村の約51・7キロを巡る3日間の日程を終えた。最終日は県ゆかりの長距離ランナーやオリンピアンが登場して県民に勇気を与え、「陸上王国・福島」を全世界に発信した。

観客の拍手に笑顔で応える藤田さん(27日、福島県白河市で)
観客の拍手に笑顔で応える藤田さん(27日、福島県白河市で)

 男子マラソンの元日本記録保持者で駒沢大陸上競技部ヘッドコーチの藤田敦史さん(44)が地元の白河市で聖火をつないだ。五輪は現役時代に出場を目指しながら果たせなかった夢の舞台。「選手としてではないが、こうして五輪に関われたことを誇りに思う」と晴れやかな表情で語った。

 藤田さんが五輪を意識したのは高校1年の頃。陸上部で走る楽しさを感じ始めていた。1992年のバルセロナ五輪のマラソン中継で、銀メダルを獲得した森下広一選手の走りに目を奪われた。「速いよりも強い。そんなランナーになって五輪で世界と戦いたい」との思いを抱くようになった。

 駒沢大に進学し、才能が開花。4年時に走った箱根駅伝で、4区の区間新記録を出す活躍を見せた。卒業後、実業団の名門・富士通に入り、五輪を目指した。

 ところが猛練習がたたり、2000年のシドニー五輪に向けた選手選考会は疲労骨折で欠場。回復した同年12月の福岡国際マラソンでは、当時の日本記録2時間6分51秒を出して優勝を果たした。だが、再挑戦となった04年のアテネ五輪選考会も肉離れなどで欠場せざるを得なかった。「周囲から練習量を減らすよう助言されたが、世界で戦うための練習をせずに大会に出る考えはなかった」。その後も思うような走りを見せられず、13年に引退した。

 東京五輪の開催決定当初は「五輪は選手として参加しなければ意味がない」と考えていた。それも指導者の立場となって「何らかの形で五輪に関われたらいいな」と思うように。そんな藤田さんの背中を元陸上選手で妻の裕子さん(35)が押した。

 出産を控えた19年秋、「私の分も走って、生まれてくる子供に格好いいところ見せてよ」と聖火ランナーの応募を勧めた。県の公募に手を挙げ、同年12月に選出の通知が届いた。その数日後に長女のあかりちゃん(1)が生まれた。「家族に思い出を残し、周囲に感謝を伝えたい」との思いを強くした。

 昨春から感染が拡大した新型コロナウイルスの影響で、五輪と聖火リレーは1年延期に。感染のリスクなどから辞退も頭をよぎったが、「陸上の世界に入るきっかけをくれ、ずっと支えてくれた地元の人たちに恩返しがしたい」と今年も走ることを決めた。

 この日は、裕子さんとあかりちゃんが沿道から見守る中、最終区間の走者を務めた。「娘が大きくなったら東京で五輪があったこと、父親がどんな気持ちでリレーを走ったか話したい」と笑顔をみせた。

(井上大輔)

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1943179 0 東京オリンピック 2021/03/28 10:28:00 2021/03/28 10:28:00 2021/03/28 10:28:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210328-OYT8I50001-T.jpg?type=thumbnail
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