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義足のトライアスリートで松山市の会社員大堀
広島県の大学に通っていた1986年、バイクを運転中に大型トラックと衝突する事故に遭い、右の膝下を切断した。
義足の生活が始まり、リハビリに取り組む中、海外にフルマラソンを完走した義足ランナーがいると知り、勇気が湧いた。それなら自分はと、水泳、自転車、長距離走の3種目で競うトライアスロンへの挑戦を決意。1年間、練習を積み、87年、松山市の中島で行われた大会で、義足の選手としては日本初とされる完走を果たした。
その後も大会出場を続けると、全国から段ボール箱がいっぱいになるほど手紙が寄せられた。「自分の頑張る姿を見て喜んでくれる人がいる」と気づき、大きな心の支えにもなった。

リレーの延期が決まると、義足になった時のように「1年間で自分を変えよう」と決意。義足で左右のバランスが悪いため、柔軟性を高めようと、お風呂上がりのストレッチを続けた。前屈で床に指が届かなかった体は、手のひら全体を付けることができるほど柔らかくなった。
「何事も気持ちの持ちよう。絶望的な状況でも、切り替えて、笑っていたい」。ランに込めるメッセージだ。
次走者に聖火を引き継ぐ「トーチキス」。どんなポーズを取るかは走者に任されているといい、「Y字バランスをしちゃおうか」と、のびやかにポーズを取った。(栢野ななせ)