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1年延期された東京五輪の開幕まで、14日で100日となった。各競技で代表争いが続く中、陸上男子棒高跳びの山本
けが回復「状態はいい」

13日午前、その姿は愛知県豊田市の体育館にあった。ストレッチで体をほぐし、何度も踏み切りの動きを確認。今夏の五輪への思いを聞くと、「足をけがしていた昨年より状態がいい。五輪の延期は、自分にとってはよかった」と語った。
両親が五輪出場の夢を託して名付けた。2012年ロンドン五輪、16年リオデジャネイロ五輪と、2大会連続で出場した息子について、短距離選手だった父、久義さん(58)は「自分より選手としてはるかに上だ」と目を細める。
だが、両大会とも山本選手にとっては苦い思い出だ。
初の海外大会でもあったロンドン五輪では、助走距離を測る巻き尺がフィート表記で、いつものメートルに換算しようと焦る間に回収されてしまった。勘で決めた位置からスタートしたが、普段は軽く跳べる高さを3回とも越えられず、「記録なし」に終わった。
13年世界選手権で6位に入り、16年1月に自己ベストの5メートル77を記録して迎えたリオ五輪。好調だと感じていたが、助走位置に立った瞬間、前回の失敗が頭をよぎった。「気持ちが萎縮し、体が思うように動かなくなった」。再び一度もバーを越えられなかった。
「やめようかな」。自信を失い、引退が頭をよぎった。走り幅跳びの選手だった母、ひろみさん(58)にLINEで伝えると、「全力でサポートする。決めるのはまだ早いんじゃないかな」と諭された。
「今度こそ記録を残したい」。選手生活の集大成と位置付けた東京五輪だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で昨年3月に1年の延期が決まった。練習拠点の大学が利用できなくなり、公園や道路を走るしかない日々。棒を使った練習は約半年間できなかった。
それでも、前を向いた。弱点を克服する期間にしようと、助走速度の向上や筋力トレーニングに励んだ。昨年8月には、五輪会場の国立競技場で行われた無観客の大会で優勝。「観客に見守られながら、跳べたら幸せだろうな」と思った。
代表になるためには、5メートル80の参加標準記録の突破や、6月の日本選手権で3位以上になることなどが必要だ。自己ベストを3センチ更新しなければならないが、「調子が上がってきているので跳べる。優勝して五輪に出場したい」。雪辱の大舞台に立つ日を信じ、ひたむきに競技と向き合う。