完了しました
あすから聖火リレー「競技の魅力広めたい」

東京五輪の聖火が19日から高知県内を巡る。プロサーファーの谷口絵里菜さん(42)は2日目の20日、地元・東洋町の生見海岸で、聖火を掲げる。東京五輪で初めて競技に採用されたサーフィンに人生を懸け、2015年を最後に競技生活から離れた。自分を育ててくれたホームビーチに感謝の思いを込めて走る。(小野温久)
ビーチから徒歩約5分の農家に生まれ、子どもの頃からボディーボードを浮輪代わりに海で遊び、小学3年の時にはサーフボードを手にしていた。「スピードの出る乗り物に乗っているようで楽しくて夢中だった」
中学時代は、県の大会で優勝するソフトボールの強豪チームで1番ショート。高校から声がかかるほど実力があった。それでも、「波乗りがしたくてたまらなかった」。プロになると心に決め、両親の反対を押し切ってサーフィンの練習に適した隣町の高校に進学した。

「自分が選んだ道、下手なことはできない」。登校前と下校後には海に通い、練習に明け暮れた。約40分の自転車通学やソフトボールで鍛えた強固な下半身を生かした高度な技にはパワーとキレがあり、卒業後にプロになってからも年間を通して競技する国内ツアーのグランドチャンピオン(総合優勝)に最も近い選手と言われた。
だが、毎年上位には入るものの総合優勝を逃す。後輩に次々と先を越され、挫折を味わった。頂点を取れない悔しさをバネに、試合の駆け引きなど課題だったメンタル面を鍛え直すと、プロ転向から8年後の07年に念願の総合優勝を果たし、09年もその栄冠をつかんだ。
「遅咲きでしたが、逆にそれがよかった。目標を持って頑張る気持ちが維持できたから」と言い切る。
その後も毎年上位につけ、36歳だった15年夏の一戦でも3年ぶりに優勝を果たし、若手を驚かせた。右膝の
その後、東京五輪で競技に追加され、地元の知り合いからは「ちょっと生まれるのが早かったな」と冷やかされた。「挑戦したかったのに。悔しかったですよ」
それでも、「多くの先輩たちの努力で五輪競技が実現した。プロアスリートとしての自覚を持ち、世界を目指してほしい」と、現役選手にエールを送る。
今は町観光振興協会理事や県観光特使を務め、家業の民宿や農業を手伝いながら競技ジャッジや小学校での講演を通じてサーフィンの楽しさや自然の大切さを伝えている。「五輪をきっかけに、自然と