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泣いてあきらめた幻のモスクワ五輪代表、選手を思い聖火ランナーに

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 19、20日に高知県内で行われた東京オリンピックの聖火リレー。県内最終区間の高知市では、日本が参加をボイコットしたモスクワ五輪(1980年)で、女子バレーボール代表だった竹島晶代さん(63)が登場。出場が幻に終わった経験から、コロナ禍に翻弄ほんろうされる選手たちに思いを重ねた。沿道の応援に「スポーツの力は本当に素晴らしい」と実感、「五輪を応援する熱気が、苦しんでいる選手を支えるはず」と願っている。(阿部俊介)

聖火を掲げて走る竹島晶代さん(20日午後7時29分、高知市で)=里見研撮影
聖火を掲げて走る竹島晶代さん(20日午後7時29分、高知市で)=里見研撮影

 南国市出身。土佐女子中学校で競技を始め、同高校を卒業後に実業団の強豪・富士フイルムに入った。1メートル77の身長を生かしたブロックなどを買われ、代表入り。五輪のプレ大会でも優勝、2大会連続の金メダルが有力視され、激しい練習に明け暮れた。

 79年に始まった旧ソ連のアフガニスタン侵攻で、ボイコットもあり得るという報道も耳に入ったが、監督の「絶対に行ける」との言葉を信じた。

 ボイコットが決まったのは80年5月。北海道合宿の夕食後、監督から決定を伝えられた時の記憶はショックで抜け落ちている。チームメートで抱き合って泣いたと、後になって聞いた。

 「五輪は終わったがバレーは終わらない」と言い切る仲間もいたが、竹島さんは「これまでの努力は何だったのだろう」との思いがぬぐえなかった。その年のシーズンは実業団のベスト6に選ばれるほど活躍したが、膝のけがも重なり、翌年引退。

当時を思い出し涙、「選手たちの思いが途切れないように」

 「ボイコットがなければ、きっと現役を続けていた」。当時の代表12人のうち、4年後のロサンゼルス五輪でコートに立ったのは3人だけ。つらくてテレビで1試合しか観戦できず、今でも、当時を思い出すだけで涙があふれる。

 引退後に結婚、全国各地の転勤を経て古里に戻った。2015年から高知工科大女子バレーボール部の監督を務める。

 今年3月中旬、聖火ランナーにとの打診があった。1年延期で五輪出場の夢が絶たれた選手もいるだろう――。不安な日々を送る選手たちと、40年前の自分がダブって見え、「選手たちの思いが途切れないように、私も聖火をつなぎたい」と、引き受けた。

 緊張した表情で臨んだ20日のリレー。沿道には横断幕を手にした高知工科大の教え子や土佐女子中・高の先輩、後輩たちがおり、確かにエールは届いた。聖火リレーが何かを変えるかはまだわからない。ただ、心の中にわき起こった「ありがとう」の気持ちに間違いはない。「この熱気と感謝の思いが全国に広がれば、東京五輪は必ず成功する」

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2002704 0 東京オリンピック 2021/04/22 10:29:00 2021/04/22 15:52:55 2021/04/22 15:52:55 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210421-OYT8I50124-T.jpg?type=thumbnail
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