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東京五輪の聖火リレーは5日に熊本県に入り、6日も県内を巡っている。昨年7月の九州豪雨による球磨川の氾濫で甚大な被害を受けた同県人吉市では5日、かつて球磨川でカヌーの五輪代表を目指し届かなかったラフティング会社経営、堺
地元の球磨川で練習、リオ選考会では2位

人吉市で生まれ育った。中学の頃、球磨川で練習を重ねる県立球磨工高カヌー部の姿が目に留まり、「自分もやりたい」と全国有数の強豪校へ。天然の練習場に恵まれ、みるみる上達した。高校3年のインターハイと国体で、個人とペアの計6種目を制覇。大学では日本代表にも選ばれた。
就職先は地元にこだわり、旧知のラフティング会社に就職して慣れ親しんだ球磨川で腕を磨いた。だが、大学時代のように整った練習場ではなく、ライバルたちよりも厳しい環境。1位が代表となる2016年のリオデジャネイロ五輪の選考会では2位と惜敗し、夢をつかむことはできなかった。
濁流の中で叫んだ「誰かいますか」
練習に明け暮れ、業務で貢献できないことへの後ろめたさもあり、五輪への未練を断ち切って選んだのがこの会社のリバーガイド。ツアー客に急流を下るラフティングの楽しさを伝える仕事はやりがいがあり、19年には独立。軌道に乗りかけたところに豪雨が襲った。
昨年7月4日、球磨川そばの自宅兼事務所にいた堺さんは、濁流にのみ込まれる街を目の当たりにし、「ラフティングのボートで行くしかない」と消防隊員らと住民の救助に向かった。2階部分まで浸水した住宅街を「誰かいますか」と叫びながら約60人を救助したが、亡くなった人もいた。「一人でも多く、と必死でした」と振り返る。
「あの日」から約10か月。古里はなお、多くの住民が仮設住宅などで不便な生活を強いられ、堺さんも事務所が再開できないままだ。それでも、堺さんは、自らを育んでくれた球磨川を憎む気持ちにはなれない。一方で、今も苦しみの中にある人たちも多く、複雑な思いにかられるという。
5日、当時救助に奔走した被災地を走った堺さんの目には、再建が始まった事業所も飛び込んできた。「被災者が立ち上がろうとしている姿を多くの人に見てほしい」。地域が再び、球磨川を誇りに思える日が来ることを夢見て、かつて目指した五輪の舞台へ続く聖火を次のランナーに託した。