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沖縄県から届いた東京オリンピックの聖火は5、6の両日、熊本県内13市町村を巡った。「被災地に希望を」「元気な姿を全国に届けたい」――。168人のランナーたちは、それぞれの思いを胸に、聖火をつなぐ大役を果たした。聖火は長崎県に引き継がれる。

昨年7月の豪雨で甚大な被害を受けた熊本県人吉市では5日、カヌーの五輪代表を目指したラフティング会社経営、堺
中学の頃、球磨川で練習を重ねる県立球磨工高カヌー部に興味を持ち、全国有数の強豪校へ。天然の練習場でみるみる上達し、高校3年のインターハイと国体で計6種目を制覇。大学では日本代表にも選ばれた。
卒業後は地元のラフティング会社に就職して球磨川で腕を磨いた。ただ、大学時代のように整った練習場ではなく、ライバルたちよりも厳しい環境。1位が代表となる2016年のリオデジャネイロ五輪の選考会では2位と惜敗し、夢をつかむことはできなかった。
五輪への未練を断ち切って選んだのがこの会社のリバーガイド。ラフティングの楽しさを伝える仕事はやりがいがあり、19年には独立。軌道に乗りかけたところに豪雨が襲った。
昨年7月4日、球磨川そばの自宅兼事務所にいた堺さんは、濁流にのみ込まれる街を目の当たりにし、ラフティングのボートで消防隊員らと救助に向かった。2階部分まで浸水した住宅街を「誰かいますか」と叫びながら約60人を救助したが、亡くなった人もいた。
「あの日」から約10か月。事務所は今も再開できないままだが、自らを育んでくれた球磨川を憎む気持ちにはなれない。一方で、地元では今も苦しみの中にある人たちも多く、複雑な思いにかられる。
5日、当時救助に奔走した被災地を走った堺さん。「被災者が立ち上がろうとしている姿を多くの人に見てほしい」。地域が再び、球磨川を誇りに思える日が来ることを夢見て、かつて目指した五輪の舞台へ続く聖火を次のランナーに託した。
「益城は元気」支援に感謝…東無田復興委代表・田崎真一さん

熊本地震で震度7を2度観測した益城町では、被害の大きかった東無田地区の住民でつくる東無田復興委員会代表、田崎真一さん(59)が、道路の拡幅工事などが進むルートを走り、「復興へと進む益城の姿を全国に届けられた」と胸を張った。
地区では住宅の約7割が全半壊した。住民が協力して炊き出しや空き巣対策のパトロールなどを行い、「共助」で乗り越えた。教訓を伝えようと始めた「災害スタディーツアー」は、150回を超えた。
現在では約8割の住宅が再建され、子育て世代の移住者もいる。この5年で2倍以上に増えたという子どもたちの元気な声に、復興を実感している。
「益城町は元気だぞ」。次のランナーに聖火を引き継ぐ際、全国から寄せられた支援への感謝を込めて声を張り上げた。「聖火からパワーをもらった。復興への道のりは遠いが、もうひと頑張りしたい」と誓った。