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[決意]強打再び もう迷わない[Tokyo2020+]

  
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 地元開催の大会で五輪デビューを飾るという幸運は、実力や努力だけではつかみ取れない運命の巡り合わせだ。ホームの応援を背に初陣に臨む日本代表の若き精鋭が、東京五輪で輝きを放つ。

 日本のトップが集うTリーグが発足した2018年から、背番号「17」を着用してきた。「東京五輪を17歳で迎えるから」。今月27日で18歳。予想とはかけ離れていた17歳の1年間は、山あり谷ありだった。

 昨年3月、感染防止を徹底しながら練習に打ち込める環境を求め、生まれ故郷の仙台市の実家に戻った。中学入学と同時に上京し、海外を転戦する生活を送っており、久しぶりに家族と過ごせる有意義な時間になった。持ち味のバックハンドに磨きをかけ、確かな手応えもあった。

 しかし、実戦の場に戻ると結果が出ない。昨年最後の国際大会は初戦敗退、今年1月の全日本選手権は準々決勝で敗れた。男子日本代表の倉嶋洋介監督は「どん底だった」と振り返る。

 帰省している間に、筋力がめっきり落ちていた。ラケットを振る際の重心がずれ、強打が決まらない。倉嶋監督は、全日本で敗れた張本を滞在先の自室に呼び出して言った。「原点を見つめ直して、もう一度スタートしよう」

 その後はTリーグの合間を縫って味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)に通い、筋力トレーニングや課題のフォアハンド強化に徹底的に取り組んだ。特訓の成果は実り、3月の国際大会で優勝。今年初めには気弱な言葉が口をついていたが、表情にも活力が戻ってきた。

 「毎試合、いかに相手を上回れるか」。不振を乗り越え、再び上昇気流に乗った若きエースが、1年遅れの大舞台に臨む。

最年少12歳 SNS育ち

 東京五輪最後の予選となった5月の国際大会「デュー・ツアー」(米アイオワ州)で5位に入り、日本代表の3人目に滑り込んだ。来月23日の五輪開幕時点で12歳10か月。日本オリンピック委員会(JOC)に記録が残る中では、夏季の日本選手で史上最年少となる。

 新競技のスケートボードは米国やブラジルなどとともに、日本が強豪の一角を占める。特に女子パークは2019年世界選手権覇者で世界ランキング1位の岡本 碧優みすぐ (15)(MKグループ)を筆頭に、ランク10位以内に日本勢5人が名を連ねる。日本代表の西川隆監督は、「(開や岡本らが) 切磋琢磨せっさたくま し、上を目指したいという思いを感じる」と言う。

 若い世代に人気のスケートボードは、選手自身がSNSを駆使して世界中の愛好家らと情報を交換しながら互いのスキルを高め合う。5歳で競技を始めた開も「インスタグラムやユーチューブで『これをやりたいな』って、見て覚えた」。北海道を拠点に、コースの縁を巧みに滑る技術やエア・トリックを地道に磨いた。

 壁の高さが3メートル近くあり、世界でも屈指の巨大施設で争う東京五輪。代表の切符を一気につかんだ勢いそのままに、「初代女王」のタイトルを目指す。

同い年 重傷克服

 女子パークで日本勢の強敵となるのが、世界3位で開と同じ2008年生まれのスカイ・ブラウン(英)だ。母親が日本人で、宮崎で生まれ育った。ロイター通信によると、夏季五輪の英国代表史上最年少で、母国での期待は高い。

 「デュー・ツアー」は2位。1年前にスケートボード中の事故で頭蓋骨骨折の大けがを負っていたブラウンにとっては、国際舞台での見事な復活だった。演技中は笑顔を絶やさず、ライバルと競う喜びを全身で表現し、「今日はスケートボードを心から楽しんだ。五輪も緊張は感じない。何が起こるか楽しみ」。本番を心待ちにしている。

大技臆せず 伸びしろ無限

 5月のワールドカップ(W杯)東京大会で五輪代表に内定後、最もうれしかったのは、コーチから2日間の休みをもらえたことだったという。「(連休は)正月以来。家でゲームをしました」。緊張感から解放され、中学3年生にとって最高の息抜きとなった。

 W杯では予選6本中5本を終えて19位と、準決勝進出(18人)圏外だった。だが、ピンチで 萎縮いしゅく するどころか「まだ巻き返せる」とプラスに考えた。6本目に大技で高得点を出し、15位で突破。準決勝は9位、決勝は8位に入った。

 2019年の世界選手権は年齢制限で不参加。20年はコロナ禍で大会中止が相次ぎ、このW杯が最初で最後の五輪選考会だった。初の大舞台で重圧を乗り越えたことは、数字以上に価値がある。

 一方で、上位との実力差を痛感した。「(水面に)真っすぐ体を入れるために、踏み切りの姿勢から修正していく」。五輪では難易度も上げる意向で「最低限の目標は決勝進出。そこから、メダル争いが出来れば」と青写真を描く。

 3か月前に1メートル55、51キロだった体は、また少し大きくなった。無限の伸びしろを武器に、初の五輪に挑む。

アタッカー 鮮烈デビュー

 1972年ミュンヘン五輪の金メダル以降、長らく表彰台から遠ざかるバレーボール男子日本代表に、 彗星すいせい のごとく現れた期待のアタッカーだ。

 代表デビューは鮮烈だった。5月1日、五輪会場の有明アリーナで行われた中国戦で先発に抜てきされ、チーム2位の16得点で勝利に貢献。翌日はチーム最多の19得点を挙げた。 なか垣内がいち 祐一監督は「19歳であそこまでできる選手はなかなかいない」と舌を巻いた。

 身長1メートル88とアタッカーとしては大きくないが、冷静に状況を判断し、ブロックの隙をつく。中学時代にリベロの経験があり、「持ち味はレシーブ力」と自負する堅守も魅力だ。

 京都・東山高時代に全日本高校選手権で優勝し、昨春、代表に初招集。指揮官は当時の高橋に「(活躍する)自信があったわけではない」と振り返るが、延期後の1年でメキメキと頭角を現した。小学校の卒業文集に「東京五輪に出る」と記した近未来のエースは、「最年少なので、自分のプレーを全面に出して勝利に貢献したい」と意気込む。

屈強ポスト 志も規格外

 1メートル90の屈強な体で、相手ゴール前に位置する「ポスト」を任される。「年齢は関係ない。チームがしんどい状況で声を出して引っ張っていく存在になりたい」と、主軸としての自負がにじむ。

 和歌山県出身。高校入学後、ゴール下で体を張るセンターを務めていたバスケットボールから転向した。「回転する動きは似ている」と急成長を遂げ、筑波大1年で日本代表に初招集。直後のアジア選手権3位に貢献した。「スマホで作ったプレー動画を見た会長からオファーが来た」と、大会終了後にポーランドへ渡り、異国でハンドボール漬けの生活を送る。

 今年1月の世界選手権では強豪と渡り合い、日本にとって24年ぶりの1次リーグ突破の原動力となった。8強入りを目標に掲げる東京五輪では、「ビッグクラブからオファーが来るような活躍がしたい」。規格外の新鋭は、抱く志も大きい。

岩崎、田村 10代輝く

 過去の大会でも、多くの若い選手が活躍してきた。

 日本勢最年少のメダリストは、1932年ロサンゼルス大会競泳男子1500メートル自由形金の北村久寿雄と、92年バルセロナ大会競泳女子200メートル平泳ぎ金の岩崎恭子で、ともに14歳。北村は世界でも最年少の男子個人種目優勝者とされる。

 2016年リオデジャネイロ大会卓球女子団体銅の伊藤美誠(スターツ)、1932年大会競泳男子2冠の宮崎康二は、15歳でメダルを獲得。92年大会柔道女子48キロ級銀の田村(現・谷)亮子は16歳で表彰台に立った。

 17歳では、88年ソウル大会体操男子の池谷幸雄、2012年ロンドン大会競泳男子の萩野公介(ブリヂストン)ら。1932年大会競泳女子の前畑秀子、84年ロサンゼルス大会バレーボール女子の中田久美は18歳。19歳では体操の内村航平(ジョイカル)らに加え、96年アトランタ大会野球の福留孝介(中日)、2012年大会サッカー女子の岩渕真奈(アーセナル)なども名を連ねる。

 海外では、体操女子で「白い妖精」と呼ばれた14歳のナディア・コマネチ(ルーマニア)が1976年モントリオール大会で金3個。競泳女子のケイティ・レデッキー(米)は15歳だった2012年大会で最初の金を勝ち取った。後にボクシング世界ヘビー級王者となったモハメド・アリ(米)も、18歳で1960年ローマ大会ライトヘビー級を制した。

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2150666 1 東京オリンピック2020速報 2021/06/24 05:00:00 2021/06/24 05:00:00 2021/06/24 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210623-OYT1I50123-T.jpg?type=thumbnail
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