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フェンシング・島村智博、「可能性を信じてくれる」妻と17年続けた挑戦

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初出場37歳「期待応える」

フェンシング・サーブル日本代表の島村選手(6月18日、東京都北区で)=佐藤俊和撮影
フェンシング・サーブル日本代表の島村選手(6月18日、東京都北区で)=佐藤俊和撮影

 37歳5か月。フェンシング男子サーブルの島村智博選手(警視庁)は、日本フェンシング史上最年長で五輪に挑む。初めての大舞台への険しい道のり。傍らには、いつも妻、友美さん(36)の姿があった。(2021年7月1日付朝刊掲載)

 巧みな剣さばき、美しいフォーム、コツコツと努力する姿。2004年に交際を始めた頃から、友美さんは1歳上の夫の才能に魅せられていた。「この人なら五輪に行ける」。自らも大学3、4年の時、同じ競技で日本代表に選ばれたアスリートとしての直感だった。

 卒業後、地元・宮崎県で体育教員をしていたが、10年の結婚を機に上京。栄養バランスの取れた食事で体作りを支え、試合会場では一番大きな声で応援した。メガホンで太ももをたたき続け、アザだらけになることもあった。結果が出ずとも、こう励ました。「あなたは強い」

 島村選手は大学時代、全国大会4強が最高だった。ハンガリーでの武者修行や警視庁の鍛錬で徐々に力をつけ、13年から全日本選手権を3連覇した。

 だが、世界の壁は高かった。16年3月、リオデジャネイロ五輪の出場をかけて臨んだ国際大会で142人中75位。五輪への欲が空回りし、ミスが続いた。

 この時、32歳。約半年前に右膝を痛め、手すりを使わなければ階段を下りられないほどだった。「引退」が頭をよぎった。

 「あなたの好きにしていいよ」。試合直後に電話で相談された友美さんは、あえて突き放した。本心は誰より「続けてほしい」と願っていたが、自分で決めなければ、五輪への道は開けないと考えたからだった。

 島村選手は悩んだ。年齢やケガで、4年後が想像できない。そんな時、足のリハビリで通ったナショナルトレーニングセンター(東京)で、貴重な出会いがあった。

 テニスの伊達公子選手(50)やスピードスケートの加藤条治選手(36)らオリンピアンが口々に言った。「五輪は最高の舞台」「メダルを取ると人生が変わる」

 覚悟は決まった。「自分には伸びる余地も、強くなりたいという気持ちもある。何より、これまで励ましてくれた妻の期待に応えたい」――。1か月後、妻に再挑戦すると伝えた時、五輪が夢から目標に変わった。

 試合会場で「あの年齢ではもう終わりだよ」と夫に対する陰口が聞こえたこともある。友美さんは「今に見ていなさい」と心の中で言い返した。

 夫に勧めたのは、 瞑想めいそう しながら体幹や深層筋を鍛えるピラティス。島村選手が合宿中はリモートで一緒に続けた。攻守の切り替えが速くなり、審判の判定にいらだつこともなくなった。

 「代表に決まったよ」。今年4月25日、合宿先の島村選手から連絡があった。電話を切った途端、友美さんの目から涙があふれ出た。

 結婚式の時、出席者を前にし、一緒に誓いの言葉を述べた。「2人でオリンピックを目指します」。交際から17年。二人三脚での歩みが、ついに東京五輪へとつながった。

 島村選手は「僕よりも僕の可能性を信じてくれている。メダルを取って妻に恩返ししたい」と気合十分だ。そんな夫に、「ようやく私より熱くなってくれた」と友美さんがほほえんだ。(藤原聖大)

フェンシング  胴体を突くフルーレ、全身への突きが有効なエペ、上半身への斬りと突きがあるサーブルの3種目。日本の五輪初メダルは2008年北京大会の男子フルーレ個人・太田雄貴選手の銀。今大会は16人(他にリザーブ5人)が日本代表に選ばれた。

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2230472 0 東京オリンピック2020速報 2021/07/24 09:39:00 2021/07/24 12:42:22 フェンシング・サーブル日本代表の島村智博選手(18日午後2時、東京都北区で)=佐藤俊和撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210704-OYT1I50089-T.jpg?type=thumbnail
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